●水祖神社(みおやじんじゃ)
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町港町68(字 天神原)
駐車場:不明
祭神は弥豆波之売命(みづはのめのみこと)、菅原道真。八尾(やび)川の河口に位置し港守護や漁民の神として崇敬されている。創建年代は不明だが、延喜式(醍醐天皇の命により延長5(927)年に完成)に記載のある古社である。ある時、朝廷から派遣された高官(名前は不明)が国境守備のため力を注ぎ、隠岐で亡くなってしまった。この高官に感謝した隠岐の住民が水祖神社に祀ったという伝承が残っている。
往古は隠岐国造が造営したと伝えられる。天文22(1553)年、隠岐氏の家臣である伊後清兵衛尉が再建した。永禄12(1569)年、尼子再興軍の山中鹿介幸盛が国府尾城主である隠岐氏を頼って隠岐諸島を訪れた際、水祖神社に尼子の再興を祈願したという。
正保3(1646)年に初代松江藩主の松平直政が再建を行い、直政の息子で二代藩主の松平綱隆が寛文10(1670)年に再建した。近世の社領は2石だった。
年代は不明だが、八尾川の上流に天神社の祠があったが洪水で流され、水祖神社に流れ着いた。そのため天神社を合祀しており、前述の天文年間から寛文年間の棟札には「天神天満」の社号で記載されている。
明治21(1888)年、大火によって焼失するが、その後再建されている。
参考文献:島根県の地名、西郷町誌 上巻、西郷町誌 下巻、西郷町誌、島根県神社概説、現地の案内板
感想:町内には八田にも水祖神社があり、最初はそこと混同してしまいました。
山中鹿介が祈願した話は現地の案内板だけにあり、他の参考文献にはなく出典が気になっています。江戸時代の地誌には、「天文末、雲州新山の城落ちて、その敗北の武士、渡海し兵難を逃れ、此所に暫く蟄居せし」との記載があり、第一次尼子再興戦に敗れた再興軍の武士が隠岐の島に逃れ、村のどこかに匿われたことしか伝承にはありません。





