中島土居(中島大和守親吉の住居跡)

●中島土居
住所:高知県南国市岡豊町中島
駐車場:無し

 長宗我部家の七代・兼光の弟を祖とする中島親吉の土居だった。親吉が秦泉寺城に移った後は使用されなくなったと思われる。

(全景)
中島土居

感想:地図で見る限り、ここで合っていると思うのですが・・・。間違っていたらすいません。


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常通寺跡(長宗我部氏の菩提寺)

●常通寺跡
住所:高知県南国市岡豊町常通寺島
駐車場:無し

 長宗我部家18代目当主・雄親が創建し菩提寺とする。永正5(1508)年頃、雄親の長男・元秀(兼序)が周辺の豪族に居城の岡豊城を落とされた際、兵火で焼失。その後、岡豊城に戻った元秀の長男・国親が当寺を再興する。元親の代には土佐郡石立村(高知市石立町)を経由して大高坂城の北側に移された。明治時代、竹林寺と合併している。

(入口に建つ五輪塔)
入口

(寺跡には土佐西国八番札所の観音堂が建っている)
土佐西国八番札所観音堂

感想:地元の方の話によると西の住宅地を挟んだ畑の辺りも寺の跡だったらしいので、そこも常通寺の境内だったのかもしれません。


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石谷土居(石谷兵部少輔頼辰の住居跡)

●石谷土居
住所:高知県南国市岡豊町小蓮
駐車場:無し
 石谷兵部少輔頼辰の土居。頼辰は明智光秀に仕え山崎の戦いにも参戦したが、敗北後は親族の長宗我部元親を頼って土佐に落ち延び当地に土居を構えた。

(全景)
石谷土居

感想:遺構は分かりませんでした。


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