長宗我部国親(1504〜1560年)

官位・通称:信濃守
 幼名・千雄丸(千王丸・千翁丸)。長宗我部元秀の長男。1508年に周辺豪族によって岡豊城が落とされると幡多郡中村の土佐一条家を頼って落ち延びる(大平氏・専当氏の庇護を受けた説もある)。
 1518年、一条房家の調停で岡豊城に戻り力を蓄えると勢力を拡大。大津城主・天竺花氏を討ち、横山氏・下田氏など長岡郡の豪族を傘下に収めた。香美郡にも手を伸ばし、三男・香宗我部親泰に香宗我部家の家督を継がせ、山田元義を滅ぼしている。本山茂辰との抗争中の1560年6月15日に病死。法名・瑞応覚世大居士。

高知県南国市岡豊町八幡にある長宗我部氏一族の墓
長宗我部一族の墓
UPDATE 2011年1月12日
Copyright (C) 2011 Tikugonokami.