一条房家(1477〜1539年)
官位・通称:権大納言
教房の子。母は幡多郡の国人・加久見氏の娘。土佐一条氏2代目当主。一条氏は藤原北家で五摂家の一つ。九条道家の三男実経を始祖とし、実経が一条殿に住んだために名が起こる。実経以後しばしば摂政・関白に補せられ、室町時代には兼良、冬良らの学者をも輩出。応仁の乱によって土佐国幡多郡畑本荘に移り土佐一条氏をひらいている。
房家は当初、仏門に入るはずだったが、在国して土佐国司となる。中村市街を京に似せた町造りを行ない、文化・貿易にも力を入れた。房家の代に大名としての性格を強めていったため、房家を土佐一条氏初代とする見方もある。
1508年、長宗我部国親が落ち延びてくると保護し、1518年には周辺豪族との仲介を行ない、岡豊城に返している(異説有り)。1539年11月13日死亡。
高知県宿毛市平田町の藤林寺にある一条房家の墓

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