興宗寺(岩佐又兵衛の墓)

住所:福井市松本3丁目11ー19

  浄土真宗本願寺派。画家・岩佐又兵衛の墓がある。

(本堂?)

(岩佐又兵衛の墓。又兵衛は有岡城主・荒木村重の子として生まれる。織田信長が有岡城を落とすと本願寺に保護され母の姓・岩佐を名乗った。京都で画家となるが、興宗寺の住職・心願と出会い、福井藩に招かれたこともあり越前に移り住む。1637年には徳川家光に招かれ江戸に移り住んだ。浮世絵で名を馳せ『浮世又兵衛』と呼ばれている)


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新田塚(燈明寺畷 新田義貞戦没伝説地)

住所:福井市新田塚町604

 1336年、新田義貞は九州から上洛した足利尊氏に敗北したため、恒良親王らを奉じて越前に入る。1338年、越前守護・斯波高経を破り足羽城に敗走させるが、支城の藤島城を攻めていた味方の援軍に向かう途中、燈明寺畷で敵と遭遇し矢傷を負い自害して果てた。
 1656年、藤島郷の農民・嘉兵衛が古い兜を掘り出し福井藩に献上。藩の軍学者・井原番右衛門は兜を義貞のものと鑑定し、当地を戦死の地と推定した。1924年、国の史跡に指定される。現在は新田塚公園として整備されている。

(公園入り口)

(祠。確か中には五輪塔が建っていたと思う)

感想:祠の写真にジャージ姿の人が写っていますが、これは地元の中学生です。ちょうど公園の清掃の日でした。荒れ果てた史跡が多い中、こうやって綺麗にされているとは地元で愛されているんだな・・・。
 ネットや本の写真を見て鬱蒼とした森の中にある印象を持っていましたが、行ってみたら交通量の多い県道5号線沿いにあって周りにはマンションや店が建ち並びとても賑やかな場所でした。1960年頃までは水田が広がっており静かな場所だったようです。


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東超勝寺

住所:福井市藤島町47-5
 浄土真宗大谷派。1392年、藤島城主・斯波豊郷が頓円鸞芸を迎えて創建。戦国時代になると一向一揆の拠点として朝倉氏や織田信長と対立した。1602年、本願寺が東西に分派すると寺も東西に別れる。

(境内)

(本堂)

感想:超勝寺は東西とも建物に趣がありました。


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