勝田神社(米子城の鬼門除け)

住所:鳥取県米子市博労町2-10

 主祭神は天之忍穂耳命。元は外江村にあり古くから弓ヶ浜半島の人々に信仰されていた。1553年に現在地に移転される。江戸時代は米子城の鬼門を守る神社としての役割を担った。米子市の初詣ではもっとも賑わう場所の一つである。

(鳥居)

(大注連縄)

(参道)

(拝殿)

(本殿)

(日本たばこ産業(JT)が米子工場100年を記念して2010年に建てた謝恩の碑。米子の辺りは砂浜が多いので、たばこの葉の栽培に適しているのだろうか)

(松尾神社。酒造りの神である久斯之神を祀っている。この鳥居も1831年に米子の酒屋が共同で寄進したもの)

(松尾神社の祠。修復の際に『千代むすび酒造株式会社』など鳥取県を代表する酒屋が寄進している)

(青銅神馬。大正時代に奉納されたが太平洋戦争中に供出されたため、1976年に再建された)

感想:以前、初詣に来た時はとんでもない人で建物を見る余裕が無かったですが、今回普通の日に来てじっくりと廻って見たら米子の歴史の一端が感じられました。
歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。




見龍山常照院心光寺(末次氏の菩提寺)

●見龍山常照院心光寺
住所:鳥取県米子市寺町39

 浄土宗。天正年間(1573~1592年)にはすでに尾高村に存在していた。慶長7(1602)年に米子藩主・中村忠一によって現在地に移される。その際に寺号が源光寺から心光寺に改められている。その後、火災のため建物が焼失したが、1756年に再建された。
 末次城(のちの松江城)の城主だった末次氏の子孫が米子に来て郷士となり、心光寺を菩提寺としている。

(山門)

(昭和49(1974)年に再建された本堂)




安養寺(瓊子内親王の墓)

●安養寺
住所:鳥取県米子市福市724

 1332年、後醍醐天皇が隠岐に流される際に皇女・璋子内親王も正体を隠して従ったが、伯耆の米子で正体がばれてしまい同行を許されなかった。そこで隠岐に近い安養寺に入り出家する。鎌倉幕府が滅亡し建武の新政が始まった後も璋子内親王は安養寺に留まり1339年に当地で亡くなっている。
 江戸時代中期まで尼寺だった。

(山門)

(稲荷社)

(鐘楼)

(本堂)

(瓊子内親王の墓)

(歯形栗。瓊子内親王が栗を咬んで捨てたところ、そこから芽が生えて栗の木に成長した。大きさを見たら分かると思うが当時のものは枯れてしまったため、現在あるのは近年に植え替えられたもの)

感想:このお寺の読み方は『あんにょうじ』です。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。