北庄城(柴田勝家の居城)

住所:福井県福井市中央1-21-17

 北庄城のあった地には朝倉家の一族が建てた館があった。しかし織田信長によって朝倉家が滅亡すると北庄朝倉氏も運命を共にする。
 その後、1575年に織田信長から越前八郡を賜った柴田勝家が当地に北庄城を築城。その後、何度が改築し安土城にも匹敵する城となり、本丸には九重の天守が築かれたという。1580年に北庄城を訪れた宣教師のルイス・フロイスは、城や家屋の屋根は石で葺かれ町の広さは安土の2倍もあるとイエズス会に報告している。1583年、賤ケ岳の戦いで敗北した勝家が自ら火を放ったため焼け落ちる。1600年の関ヶ原の戦い後、結城秀康が城主となると大改築を行ない、3代藩主・松平忠昌が『福井』と改称した。
 現在は勝家時代の北庄城の天守があった場所に柴田勝家を祀る柴田神社が建っており、石垣などが僅かに残っている。

(全景)

(繊維強化プラスティック(FRP)で作られた復元模型。大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』に合わせて設置された。2013年までの設置予定となっている)

(福井城の三の丸にあった日向門跡。礎石の痕跡を位置表示している)

(堀跡)

(勝家が建てた半石半木の九十九橋を復元したもの)

(柴田神社の鳥居)

(稲荷神社)

(柴田勝家の像)

(城の井戸を復元した『お市の水』)

(お市の像)

(浅井三姉妹の像。左から茶々、江、初)

(北の庄城の殉難将士・お市の方の慰霊碑)

(北庄城の石垣)

(勝家とお市の辞世の歌碑。展示資料館を通らないと行けない)

(柴田神社の本殿?)

感想:きれいに整備されています。朝からおじさんたちが椅子に座ってくつろいでおられました。あと近道のため通り過ぎる人が多く、観光客は皆無でした。

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