南東北史跡巡り2007(1日目午後:瑞鳳殿・青葉城・支倉常長の墓)

 2007年8月12日午後、仙台駅に着いたので、観光循環バスのるーぷる仙台で市内を回ることにする。しかし待っている間、外に立っていると暑い>< 暑すぎる!
 しかもやっとバスが来たので乗ったが、通勤ラッシュのような過密さだった>< つら・・・。やがて伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿に到着する。ここも結構な人だなあ。言ってみればただのお墓なのに、この人とは・・・。見所のある墓が他にもあるから、みんなそっちも行けばいいのに。って行くわけ無いか。

(瑞鳳殿。戦災で焼けちゃったので復元だったのね。知らなかった)

 それから政宗の息子・忠宗の霊廟などを回って再びバス停へ。バス停はやっぱりすごい人・・・。なんとかバスに乗って仙台城(青葉城)に移動。
 仙台城の現状を知らずに行ったが、復元した櫓がほとんど無くてびっくりした。100万都市のシンボルだからいくつか復元してあると思ったのに、山を下りた隅櫓があるだけ。まあ、仙台市も予算が無いらしいし、そんなもんなのかな・・・。

(伊達政宗像。仙台城と言えばこれ。これが見られただけでも来た甲斐があった。しかし良く見るとけっこう年を取った時の銅像だったんだな)

(仙台城から見る仙台市内。都会!)

 バスが来るまで待ち時間があったので、お土産物屋に行って涼んでいると「伊達政宗グッズコーナー」があったので、のぞいてみた。伊達政宗マウスパットとか「伊達政宗が乗っています」と書いてある黄色いシール(赤ちゃんが乗ってます、と書いてあるもののパロディ)など、たくさんのグッズがあった。伊達政宗が本当に車に乗っているなら是非とも会いたいものだ。
 そんなこんなで仙台城を後にして三度バスで地下鉄の駅の近くまで行く。そして地下鉄に乗って北仙台駅へ。ここから徒歩で光明寺に行く。ここにはあの有名な支倉常長の墓があるのだ。
 しかし光明寺に着いたものの場所が分からず、お寺の方に聞いてやっとたどり着く。あら、良く見ると案内板があるじゃない・・・。なんで気がつかなかったんだろう。

(支倉常長の墓。横にはソテロの供養塔みたいなのがあった)

 目的を達成したので北仙台駅に戻って地下鉄を使い今度は愛宕橋駅まで行き、徒歩で仏眼寺に行く(行くまでの道を間違ってぐる~っと回ってしまい、余計な疲労が溜まってしまった)。
 ここに来たのは和久是安の墓があると聞いたので。墓地に行くとしっかりと案内板があった。どうもここにあるのは墓ではなく、碑だけらしい。

(和久一族の墓と碑)

 それから他の墓の案内板を見ていると「香宗我部家」の文字が・・・。案内板に書いてあることが滅茶苦茶だったのが(香宗我部親秀は織田信長に仕えて?、娘婿の親泰は大坂の陣で戦死??)、「え~、そうなんだ」と思い、お寺の方に聞くと「詳しいことはまとめている最中ですので・・・すいません」とのことだった。その後、家に帰って「長宗我部元親のすべて」を見てみると確かに仏眼寺に香宗我部一族の墓がある、とあった。場所が分からなくて写真が撮れなかったよ・・・TT
 そんなこんなで最後は長宗我部関係でしめてホテルに行き就寝。

感想:暑い!かなわんくらい暑い!まずはやっぱりこれだ。史跡の話に戻ると最後のお寺以外は定番コースなんで、ちょっとマニアックさがなかったけど、初めて行くところだからこんなもんでしょう。しかし香宗我部家が伊達家に仕えていたのをすっかり忘れていた。分かっていたら本に載っている写真を覚えて行って探したのに~~~~。なかなかそういう情報はすぐにはぱっと出て来ないもんやね・・・ーー;

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南東北史跡巡り2007(1日目午前:松島・瑞巌寺)

 今回もお盆は贅沢なことに9連休だったので、計画を立ててずっと行きたかった東北に行くことにする。2ヶ月前からホテルを取って、1週間前には土日かけて予定表を作ったのでばっちり・・・のはず。
 8月11日夜、名古屋駅から仙台方面行きの高速バスに乗って出発。バスの中であんまり寝られないまま仙台に到着。それから仙台駅で朝食を済ますとJRで松島海岸駅まで行く。
 駅から降りて改札に行く最中に「伊達政宗歴史館」の広告があるが、「関ヶ原ウォーランド」ぽい気がしたのでやめておき、最初の目的地である「瑞巌寺」に徒歩で向かう。ここは雲居さんが住職だったので、気になっていた。でも、向かう途中に五六八姫の霊屋があったので、まずはお参り。それから横を見ると洞窟の中にお墓が・・・。どうも伊達一族のお墓らしい。良くお墓に行く私でも、ちょっと近寄りがたい雰囲気があったけど、せっかく来たので撮影。

(伊達一族の墓。中央のお墓は政宗の四男のもの)

 それが終わると隣に政宗の孫・光宗の霊廟があったので、そこも寄ってちょいちょいと撮影。

(霊廟のある圓通院の庭)

 それからやっと瑞巌寺に到着。ここは国宝や国の重要文化財の建物が多いので観光客が多い。受付でいきなり「雲居さんの墓はありますか?」と聞いたが、「さ、さあ・・・ーー;;; 生まれが四国だからあっちにあるんじゃあないですか」とのこと。『聞いた私が悪かった』と思い、本堂でお寺の方に聞く。すると「歴代住職の墓は本堂の裏にありますけど、一般の方は行けないです」と言われた。そだよね・・・。

(瑞巌寺の本堂)

 建物を見て回ると続いて資料館に行く。ここではあの有名な「伊達政宗甲胄像(両眼があるやつです)」を見ることが出来た。当たり前とはいえ、写真撮影できなかったのが残念TT
 これで松島の史跡巡りは終わって、松島遊覧船に乗り、松島の風景を楽しみながら塩釜に戻る。ああ、いい風景だなあ・・・。観光って感じだ。

(松島の風景)

(えびせんを取ろうとするかもめ)

 塩釜港に着くと、本塩釜駅まで行き、仙台駅まで戻る。そこで立ち食い蕎麦を食うと、いよいよ仙台市内の観光に移る。

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関ヶ原合戦「武将」たちの言い分

 PHP研究所から8月上旬に出版された『関ヶ原合戦「武将」たちの言い分』の本文中に載っている写真に、私の写真が使われました(文章は別の方のものです。念のため)。
 5月の関ヶ原2007で関ヶ原に行ったのはそのためでした。ちなみにFinePixS9000の最後の勇姿です。お時間がありましたら書店などでご覧ください。そして良かったらご購入ください。
 これからは自分の職業に『史跡写真家』を追加しよう。今後こういう機会があるとも思えないが、仕事をしてお金を稼いだ訳だから嘘ではないし、こういうのは言ったもん勝ちだからな。

(その時に撮った関ヶ原決戦地。今回の本には掲載されていません)

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