関ヶ原史跡巡り2007(笹尾山・宇喜多秀家陣跡・松尾山)

 今日は関ヶ原に行ってきた。関ヶ原に行くのは6回目・・・かな? ずっと写真を撮り直しに行きたかったので。本当は去年の11月に行こうと思っていたのだが、「熊が出る」との情報でやめた。出会ったらシャレにならんし・・・ーー;
 今回は徳川家康最初陣跡(桃配山)以外ほとんど行った。最初はインター近くの本多忠勝陣跡。次は松平忠吉・井伊直政陣跡。そして関ヶ原歴史民俗資料館に車を停めて徳川家康最後陣跡(床几場)&田中吉政陣跡に行く。
 それから山内一豊陣跡(案内板だけ。大河ドラマで取りあえず建てられたっぽい)~丸山烽火場~決戦地~石田三成陣跡(笹尾山)と立て続けに行く。笹尾山は家族連れがたくさん・・・。遊び場になっているな・・・。

(笹尾山、この角度からは分からないが、人が本当に多かった)

 笹尾山から関ヶ原の全景を眺めると、再び動き出し島津義弘陣跡~開戦地~小西行長陣跡~宇喜多秀家陣跡と行く。宇喜多秀家陣跡では石碑の後ろから女性が出てきて「こんにちは」と言われたので、びっくりした。どうも石碑の後ろの碑文を読んでいたらしい。それから話しかけられたが、驚いてろくに返答できなかった・・・。陣跡に行ったことがある人は分かると思うが、ここは林の中にあって薄暗いので、驚きも2倍。

(宇喜多秀家陣跡。人もいないので昼間でもちょっと不気味)

 そこから平塚為広の碑に行くが、前は工事中だった道が出来ており、行きやすくなっていた。続いて歩いて大谷吉継の墓~大谷吉継陣跡と行く。それから車を移動させると福島正則陣跡~藤堂高虎・京極高知陣跡~脇坂安治陣跡と回る。
 それからいよいよ今回、一番面倒だった小早川秀秋陣跡(松尾山城)に。一度も登ったことがなかった。麓に駐車場があり、車を停めると登山。「片道40分」と書いてあったのだが、本当にそのくらいかかった。ひーひー言いながら、頂上に着くと・・・なぜか3人の方が宴会の最中だった。なぜ・・・?

(松尾山山頂)

(松尾山から見た関ヶ原。ここからは戦況が手に取るように分かったのが、良く分かる。こりゃ秀秋もどっちに着くか迷うわな)

 これで関ヶ原古戦場巡りは終わる予定だったが、時間が結構余ったので、続いて島津関係の史跡に行く。最初は島津豊久の碑。そしてかなり遠く(10キロくらい先か?)にあった島津豊久の墓。

(島津豊久の墓)

 最後に長寿院盛淳墓に行って終了・・・と思ったが、まだ時間が余ったので、南宮大社に行ってみた。これにて終了。

感想:同じ愛知県内でも知多半島や東三河よりずっと近いため、いつでも行けると思ってずっと行かなかった。これでもう関ヶ原には行くことはないと思うな。関ヶ原ウォーランドは行かなかったが、あそこはもういい・・・。

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関ヶ原史跡巡り2007(笹尾山・宇喜多秀家陣跡・松尾山)」への2件のフィードバック

  1. 話しかけられた時は状況が状況なだけに本当にびっくりしました。

    3人の方は・・・ハエがたくさんいるのに、楽しそうでした。最初は工事でもしているのかな、と思いましたが、そんな気配はなし。ただのリレクリエーションだったかもしれません^^;

    秀秋の裏切りはフリーメーソンかニャントロ星人の陰謀かも・・・というのは冗談ですが、本能寺の変といい、あんまり変なところにいかないようにしてほしいですね。
    でも、疑問に関しては変な説が出るのも人間の性として仕方がないかもしれません。

  2. 旅先で女性に話しかけられる、なんてことが実際にあるもんなんですね。
    浅見光彦みたいです。

    その3人の方は、きっと企業の統合に巻き込まれていて、A社につくかB社につくか迷っていたんですね(違うって!)。

    秀秋ですが、あの生い立ちであの立場であの状況であの決断をしたら・・・と考えると、彼の末路も自然なことですよね。
    わざわざ亡霊だとか陰謀だとかを持ち出して、不当に貶める必要などないのでは、なんて思うんですが。
    まあ、フィクションに対して文句言ってどうすんだ、って感じですが、なんでもかんでも亡霊や陰謀にしてしまう作家もしくは脚本家ってのもどうなんだ、と。
    再評価されることを期待したいですね。

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