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【直参】1585年に丹羽家を長秀の息子・長重が跡を継いだが豊臣秀吉に難癖を付けられ若狭に減封されてしまう。しかし重安は豊臣家の直参となり引き続き越前国内で1万石を与えられた。1586年に方広寺の大仏殿の造営監督を務める。その後、九州征伐・小田原征伐で功があり、それを賞され杉原家次の娘(高台院の従姉妹)を娶った。1594年に従五位主水正と豊臣姓を与えられる。
【団右衛門との戦い】大坂冬の陣後、戦功に対しての褒美に不満があり奈良に移り住んだ。しかし当主・長晟に頼まれ浅野家に戻った。夏の陣では樫井の戦いで奮戦し、塙直之を討ち取っている(異説あり)。
管理人・・・有名人の宗箇さんです。武人として有名な彼ですが、文化人としても有名で千利休に茶の湯を学んで、彼が亡くなると古田織部の弟子として茶道を極め、宗箇流という武家風の流派を確立しています。そして名品も数多く残しており、樫井の戦いの最中に作った茶杓『敵がくれ』、息子・重政に跡を継がせ、佐伯郡浅原村(現・廿日市市)に隠居して茶の湯三昧の生活を送っていた時に作った茶碗『さても』などの代表作があります。 参考文献:三百藩家臣人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・大坂の役、ほか UPDATE 2003年2月4日Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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