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阿波に入った家政は厳しい政策をすすめたが、それに反対する山間部の土豪の抵抗に遭い鎮圧に6年もの期間を要した。その後も九州征伐で高鍋城を攻め、小田原征伐では伊豆韮山城を攻めて活躍する。朝鮮出兵でも渡海し、浅野幸長の救援を行った。
【豊臣家に心を寄せる】関ヶ原の戦いでは剃髪して蓬庵と号し高野山に行き、息子の至鎮に蜂須賀軍を指揮させる。至鎮が東軍についたため、領土は安堵された(正確には至鎮に阿波が与えられた)。そのまま家政は家督を譲り隠居したが、まだ若い至鎮を補佐している。大坂冬の陣が起こると当初は「私だけでも豊臣家につく」と言ったが、やがて説得され人質として駿府(江戸とも)に向かった(蜂須賀家の去就)。1620年に至鎮が亡くなると幼い忠英が家督を継いだため、その補佐をおこなう。1638年12月31日死亡。徳島県徳島市下助任町の興源寺に葬られた。
以上、小六の息子で伊達政宗に「阿波の古狐」と言われるほどの名将(?)だった蜂須賀家政さんでした。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・戦国武将201裸のデータファイル・阿波人物誌・戦国大名諸家譜 UPDATE 2006年2月5日Copyright (C) 2006 Tikugogawa. |
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