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【信長と共に】1560年、上洛しようとした今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られ、今川軍が駿府に逃げ戻ってしまう。岡崎城にいた今川家の家来もそれを知ると逃げ帰り、城が空き城になったため、家康は岡崎城の城主に返り咲いた。
【豊臣政権下で】信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、堺で観光していた家康は敵地に孤立した状態になってしまう。しかし京都の商人・茶屋四郎次郎のおかげで助かり、無事に領内に帰り着いた。光秀を討った羽柴秀吉が中央で織田政権を奪取しようとしている間、家康は信長がいなくなり真空地帯になっていた信濃・甲斐を手に入れ、領地を着実に広げた。
1600年6月、会津の上杉景勝に謀叛の疑いがあるとし、秀頼の許可を得て上杉討伐に向かう。しかし、その途中で大坂での石田三成の挙兵を知り反転した。いくつかの戦闘を経て関ヶ原で両軍は激突する。家康はなんとか勝利を収めた。
【天下人】邪魔者を排除して名実ともに全国一の大名となった家康は1603年、征夷大将軍に任命され幕府を開く。その後、豊臣家を追い詰めると1614年に大坂冬の陣を起こした。大坂の陣では高齢であるにも関わらず、現将軍の秀忠が頼りないため参戦する。夏の陣で真田幸村に討たれる直前まで追い詰められるがなんとか生き延びて豊臣家を滅ぼし天下を統一した。
我慢強いという印象のある家康ですが、元々の性格はそうでもなかったようです。子供の頃、新年の挨拶で立ちションしたとか、神社の境内で鷹狩をやりかけたとか、青年期以降の家康からは想像できない逸話が伝わっています。周辺の事情で我慢せざるをえない状況に追いこまれたのでしょう。 生き残った者が天下を取るってことを知ってたこの人は本当に偉いと思います。ちょっと薬マニア入っている気もしますが。やはり医学の知識がある人って長生きできるのでしょう。同じく長生きした島津義弘も医学の知識があったらしいですし(偶然かもしれません)。以上、誰でも知ってる英雄・徳川家康さんの紹介でした。 参考文献:戦国人名事典 コンパクト版・大坂の役・徳川四天王―精強家康軍団奮闘譜、ほか。 UPDATE 2002年2月13日 Copyright (C) 1999-2002 Tikugogawa. |
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