埼玉県史跡巡り2010(3日目後半:石戸城・武蔵松山城・加賀爪忠澄の墓)

37.石戸城・・・北本市石戸宿6-57。1460年頃、太田道灌に築かれたといわれている(扇谷上杉氏の家臣・藤田氏とも)。岩槻城と武蔵松山城を結ぶ要所で何度も戦いの舞台となった。1562年、北条氏邦が攻めた際、一夜にして土橋を築いて勝利したといわれ、現在そこは「一夜堤」と呼ばれている。城は現在、北本自然観察公園になっている。
感想:城址碑などはなかった。

(一夜堤・・・だと思う)


38.武蔵松山城・・・比企郡吉見町南吉見327。築城年代は不明。新田義貞が鎌倉を攻略する際に陣地を築いたといわれたとも、1399年に扇谷上杉氏の家臣・上田友直に築城したともいわれる。交通の要所にある城で、扇谷上杉氏・北条氏・武田信玄・上杉謙信らによる争奪戦の舞台となった。戦国時代末期には上田氏が城主となるが、小田原征伐で前田利家らによって落とされる。その後も利用されたが1601年に廃城。堀・土塁などが良好に残る。
感想:北側から登ったが雨と落ち葉で滑りそうになった。

(松山城址碑)

(兵糧倉庫)

(本丸跡)

(城の麓にある弘法大師所縁の岩室観音堂)


39.上田朝直建立の青石塔婆・・・東松山市神明町1-12。武蔵松山城主・上田朝直が部下の冥福を祈って法華経千回を唱えたのを記念して1571年に建てた。
感想:詳しい場所が分からず近所の方に聞いて案内してもらった。青石塔婆の左隣に加藤清正を祀る祠(?)があった。近所の方もなぜ清正公が祀ってあるのか分からないと言われていたが、愛知に戻った後に詳しい方から「清正公は日蓮宗系のお寺で武の神として祀られている」と聞いた。そういうことか・・・。

(青石塔婆。近年、保護のため小屋が建てられた)

(清正公を祀る祠。近くの日蓮宗系の寺の方が定期的に清掃されているらしい)


40.高済寺・・・東松山市高坂834。徳川家に仕えた加賀爪氏の菩提寺。政尚は長久手の戦いで、忠澄は関ヶ原の戦い・大坂の陣で功があった。忠澄は長崎でキリシタン船を焼いてキリシタンを処刑したことで知られる。
(右が加賀爪政尚・中央が忠澄の墓)


 日が暮れてきたため、史跡巡りはここで終了。ホテルに向かった。
本日の感想:思っていたよりも雨が早く止んで助かった。埼玉県は徳川家の家臣関係の史跡が多いな・・・。

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