四国・山陰史跡巡り2011(1日目後半:前田城・八栗寺)

 虎丸城に登ってお腹も空いたので、高松市への移動の途中にうどん屋に寄った。入ったのはさぬき市の『源内うどん』。名前の通り、この辺りが平賀源内の生まれ故郷で、それにちなんでいる。

 ここで天ぷらうどんを食べた。味は・・・まあ旨かったと思うよ。

5.数珠懸孫兵衛久重の墓・・・高松市牟礼町牟礼。八栗駅の北、徒歩10分くらいのところにある。孫兵衛は長宗我部元親の家臣で歴戦の勇士だったが八栗城を攻めた際、戦死している。
感想:高知県側での資料で名前を見たことがないが、元親の一の家来だったらしい。

(墓。なぜか二つある。地元の方が今でも綺麗にされているようだ)

(今流行の萌えキャラってやつだな・・・)


6.中村氏宗夫妻・宗卜の墓・・・高松市牟礼町牟礼。六万寺駅北西200メートルくらい、白羽神社の南にある。中村氏は田井城主だったが、宗卜の時代に火災のため八栗城に移る。1583年、長宗我部元親に攻められ備前に逃亡した。
感想:逃亡したのに宗卜の墓があるのは、四国征伐後に讃岐に戻ってきたため。

(左の二基が中村宗卜の両親・氏宗夫妻、右の墓が宗卜の墓)


7.八栗寺・・・高松市牟礼町牟礼3416。四国八十八ヶ所の第八十五番札所。空海が中国に渡る前、寺のある五剣山に登って八つの栗を埋めたことからこの名が付いたという。ここに中村氏が元親に対抗するために籠もった八栗城があった。
感想:駐車場が良く分からなかったため、他の人に倣って近くに路上駐車した。

(墓地。この辺りが本丸だったらしいが・・・)

(本丸跡から屋島方面を望む。どこから見ても屋島は分かるなあ・・・)

(山門)

(八剣山。雄大)


8.讃岐前田城・・・高松市前田西町。十河氏の分家・前田氏の居城。長宗我部軍の讃岐侵攻で落城した。本丸跡・二の丸跡・土塁などが残る。
感想:元親に抵抗した前田甚之丞の墓も近くにあると聞いたのだが良く分からなかった。

(本丸跡入り口に立つ標柱。中は墓地になっており前田家の墓もあった)

(土塁)


後半の感想:高松市には何度も来ているので行くところが無くなってきたので、中途半端にマニアックな史跡ばかりになってしまった。

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