総光寺(丹羽長秀の墓) 投稿日時: 2012年12月21日 投稿者: 筑後守 住所:福井市つくも2-17-11 曹洞宗。賤ヶ岳の戦い後、北庄城主となった丹羽長秀が北斗院を建立。のちに寺号を総光寺と改称する。 (境内。おそらく昔は何倍もの敷地があったと思われる) (裏手に建つ丹羽長秀の墓(右側)。長秀の没後、息子の長重が建てたと伝わる。左は長秀の息子で長重の弟・長正の墓) (墓の入り口。石に刻まれた文字が風化で削れている) 感想:2012年に8年半振りに行きましたが、何も変わっていませんでした。 ○写真の提供についてはこちらをクリック
筑後守の航海日誌様 お世話になっております。 出版社の戎光祥出版の小関と申します。 弊社では、現在信長の家臣を題材とした歴史マンガを制作しておりますが、その本で、筑後守の航海日誌様が撮影された丹羽長秀の墓I(総光寺)の写真を使用させて頂きたく存じます。 些少ながら使用料もお支払いいたします。 どうかどうか宜しくお願い申し上げます。 koseki@ebisukosyo.co.jp 返信 ↓
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