総光寺(丹羽長秀の墓)

住所:福井市つくも2-17-11

 曹洞宗。賤ヶ岳の戦い後、北庄城主となった丹羽長秀が北斗院を建立。のちに寺号を総光寺と改称する。

(境内。おそらく昔は何倍もの敷地があったと思われる)

(裏手に建つ丹羽長秀の墓(右側)。長秀の没後、息子の長重が建てたと伝わる。左は長秀の息子で長重の弟・長正の墓)

(墓の入り口。石に刻まれた文字が風化で削れている)

感想:2012年に8年半振りに行きましたが、何も変わっていませんでした。


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総光寺(丹羽長秀の墓)」への1件のフィードバック

  1. 筑後守の航海日誌様

    お世話になっております。
    出版社の戎光祥出版の小関と申します。
    弊社では、現在信長の家臣を題材とした歴史マンガを制作しておりますが、その本で、筑後守の航海日誌様が撮影された丹羽長秀の墓I(総光寺)の写真を使用させて頂きたく存じます。
    些少ながら使用料もお支払いいたします。
    どうかどうか宜しくお願い申し上げます。

    koseki@ebisukosyo.co.jp

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