出版に関して(その2)

いや、まあこれに関しては初めての経験でいろいろあったもんで・・・。くどいですけど、再びです。
出版までの経緯は以下のような感じでした。
4月上旬:PHP研究所様に出版依頼のメールを送る→5月中旬:担当の方から「企画を会議で提案してみるので待ってください」とのメールが来る→7月23日:「採用になりました」とのメールが来る→8月上旬:メールでのやりとりの結果、本に載せる約80人の武将が決まる→8月上旬~9月下旬:出来た原稿を逐次郵送する→9月下旬:1回目の打ち合わせ→9月下旬~10月下旬:出来た原稿を逐次郵送する→11月上旬:2回目の打ち合わせ。校正者に校正された原稿を受け取る。訂正の文章で真っ赤っかでした><→後は、原稿を送る、更に訂正されて戻ってくる、の繰り返し→1月下旬:見本を受け取る
こんな感じでした。
キャッチコピー:武将一人一人につけることになったのですが、担当の方が「こちらでつけようとしたのですが、途中からマイナー過ぎてどうつけていいのか分からなくなったので出てきたので、そちらでつけていただいてよろしいですか?」と言われたので自分でつけました。すいません、正直やっつけでやりました。まあ、あんまり誰も気にしないでしょうし・・・。
人物のリストアップ:これは出版社の方からまず注文があり、「武将でない人物(天海とか淀殿とか)、ただ参加しただけの人物(陣でのエピソード)がほとんどない武将は外してください」とのことだったので外しました。次に自分なりにリストを作ろうと思ったのですが、普通にリストアップしたら私が好きな武将ばかりになってしまうので、客観的に判断しようと3つの項目を作りました。戦国武将としての知名度、大坂の陣における重要度、大坂の陣に関する逸話の豊富さ、を各1~3点で評価しました(まあこれも私の偏見が大いに入っているのだけど)。その中から点数の高いものを本に載せました。
次点(?)というか漏れたのは次のような人達です。
豊臣軍:湊惣左衛門・上山十兵衛・矢野正倫、など・・・
徳川軍:美濃部助左衛門・堀尾忠晴・馬場主水、など・・・
豊臣軍はまあマイナー揃いで仕方がないと思うんですけど、なぜに美濃部助左衛門を載せてようとしていたのか・・・。おそらく舞い上がっていて正常な判断が出来なかったのだろうな、きっと。
評価:上記に書いた評価ですが、今回本にも載っています。載せるつもりなんてなくて、自分のためだけに作ったものだったのですが、担当の方に「これいいですね。載せましょう」と言われたので載せました。点数とかってどうかな~、っていう気もしたんですが、自費出版じゃあないから何でもかんでも我を通す訳にはいかないですし・・・。それに武将の能力って訳でもないし・・・。
表紙:担当の方から「普通は大坂城の写真や絵(大坂夏の陣図屏風、でしたっけ? あれ)を載せるんですが、どうしますか」って聞かれたので、「ああ・・・そういう堅いのは好きじゃないので明るめのイラストがいいです」と答えたところ、今回のようなものをわざわざ作成していただきました。そんなのに口を出せると思っていなかったので驚きでした。
決まった日:担当の方から出版が決まったとのメールを受け取ったのが、7月23日だったのですが、それがあの熊野地方に史跡巡りに行った日でした。おそらく帰りに行った熊野速玉大社のおかげ・・・かな?  その前の日の会議とかで決まっていたと思うので、関係ないと思うけど。一応、売れたりしたらお礼に行くべきなのだろうか? でも、熊野地方ってめちゃくちゃ遠い上に2度も行っているので、当面は自分から行く気にはならんな・・・。
ちなみに愛知県に来て4年だが、なぜか5回も和歌山県に行っている(しかも和歌山市周辺、高野山、南紀白浜、熊野地方と主要なところすべて廻っている)。これも縁ってやつか。
(熊野速玉大社)


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