増田盛次

(ましたもりつぐ)

生没年:?〜1615年/ 身分:徳川義直の家臣/ 官位(通称、号):兵部大輔

 増田長盛の息子。長盛が1600年の関ヶ原の戦いで西軍についたため所領を没収され浪人となる。一時期、徳川義直に仕えて大坂冬の陣に参戦し戦功を上げるが、突然出奔し大坂城に入る。
 夏の陣では長宗我部盛親隊に属して八尾の戦い藤堂高虎軍と戦った。長宗我部隊が敗走したため殿(しんがり)を務めるが、藤堂軍の渡辺了(父の旧臣)隊の激しい追撃にあい磯野行尚によって討ち取られた。

管理人・・・う〜ん、なんでいきなり大坂城に入ったんでしょうか? 疑問です。以上、盛親と同じく旧臣との因縁の対決の末、無くなった盛次さんでした。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役・藤堂高虎家臣辞典・大日本史料(第十二編15〜20)

UPDATE 2001年8月26日
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