住所:山形県山形市中野506
応永年間(1394~1428年)、最上満基によって築城。東西約350メートル、北300メートル、南200メートルの規模で土塁と堀がめぐらされ東北部には寺院が置かれていた。戦国時代、義光と家督を争った弟・中野義時が城主を務めたことで知られているが、義時は存在が疑問視されている。1622年、最上氏の改易で廃城となった。
城址には大郷小学校に建っている。
住所:山形県山形市中野506
応永年間(1394~1428年)、最上満基によって築城。東西約350メートル、北300メートル、南200メートルの規模で土塁と堀がめぐらされ東北部には寺院が置かれていた。戦国時代、義光と家督を争った弟・中野義時が城主を務めたことで知られているが、義時は存在が疑問視されている。1622年、最上氏の改易で廃城となった。
城址には大郷小学校に建っている。