住所:岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72
稲葉一鉄の妻(月桂周芳)は一鉄の居城・清水城の近くの山麓に住んでいたが、1581年に亡くなり邸宅のそばに葬られた。翌年、一鉄は妻の邸宅を菩提寺とする。1588年に一鉄が亡くなると妻の横に葬られている。
(一鉄が用いた陣鐘。元は近江の神宮寺の鐘として鋳造されたものだが、領民が揖斐川から拾い上げ一鉄に献上している。どうして揖斐川に落ちていたのか不明だが、織田軍が浅井攻めの時にでも持ち帰って途中で捨てたか、領民うんぬんの伝承が間違いで一鉄自身が持ち帰ったものだろう)
(2004年に撮影した一鉄の墓。夕日の差すお墓って美しいね・・・)
(一鉄の妻・月桂周芳と、貞通の妻・繁渓永昌(信長の妹)の墓)
感想:この日は境内で伐採をされていて、倒れる木の音にびびりました。