仏眼院(前渡不動尊・承久の乱供養塔)

住所:岐阜県各務原市前渡東町1975

 真言宗醍醐派。当地を治めていた旗本・坪内家の家臣の子が眼病のため失明したが、下総成田山に参詣したところ不動明王の霊験により再び目が見えるようになった。そこで1890年、その家臣が勧請し霊場としたのが始まり。翌年、京都にあった豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を本尊の阿弥陀如来と共に移転した。

(駐車場の一角に建つ不動堂)

(坂を登ると伽藍が見えて来る)

(毘沙門堂)

(弘法堂)

(本堂)

(駐車場と本堂の中間辺りに建つ承久の乱供養塔。1221年の承久の乱の際、美濃の武将の多くは後鳥羽上皇に従い木曽川を挟んで鎌倉幕府の軍勢と戦った。供養塔は摩免戸(現在の前渡)を守備したが敗れて自刃した鏡久綱とその一党のものだとも、討ち死にした両軍のものだとも伝わる。以前は西宮寺にあったが、木曽川の氾濫により寺が流され供養塔も埋もれてしまった。そこで1926年に発掘され当寺に移されている)

感想:現在でも眼病治療の祈願のため参詣者が絶えないそうです。毎年、6月5日には供養祭が行われているそうです。


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