里見公園(国府台合戦古戦場)

住所:千葉県市川市国府台3丁目67-5

 1478年に太田道灌が築城。1538年、足利義明は里見義堯らを従え国府台に陣を敷き北条氏綱軍と戦ったが、敗北し義明は戦死、義堯らは敗走した(第一次国府台合戦)。
 1564年、義堯の子・義弘は越後の上杉謙信の南下に合わせて国府台に兵を進めた。緒戦は里見軍の勝利したが、その後北条氏康軍の逆襲に遭い敗走している(第二次国府台合戦)。
 江戸時代になると国府台城は江戸を俯瞰できることから防衛上よろしくないということで廃城となった。1959年、里見公園となる。

(羅漢の井。空海が発見した井戸で里見軍が飲料水として使ったという)

(国府台城跡の碑)

(里見茶屋。休日だけど閉まっていた。もう営業していないのかな…)

(夜泣き石。第二次国府台合戦で戦死した里見広次の娘が父の霊を弔うため安房の国から来たが、戦場の凄惨な光景を見て恐怖と悲しみで石にもたれて泣き続け亡くなってしまった。それから毎夜、石から悲しい泣き声が聞こえるようになったため、通りかかった一人の武士が供養したところ泣き声が止まったという)

(1829年に建てられた里見諸士群亡塚(左)、里見諸将群霊墓(中央)。里見広次公廟(右)は建てられた年代が不明)

(里見公園から江戸川を望む)

(城の遺構だと思う)

感想:駐車場がどこか分からなく国府台天満宮に駐めて歩いて行きました。市川市の公式サイトには無料駐車場が40台あったそうですが…。


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