中山法華経寺

住所:千葉県市川市中山2-10-1

 鎌倉時代、当地には千葉氏の家臣・富木常忍や太田乗明の館があった。1260年、迫害を受けた日蓮が常忍のもとに身を寄せた際、常忍が邸内に持仏堂を建て、それがのちに法華寺となる。乗明の館も本妙寺となり、1545年以後に両寺が合体して法華経寺となった。

(黒門)

(仁王門)

(国重要文化財・五重塔。1622年、本阿弥光室が両親の菩提を弔うため前田利光の援助で建立した)

(国重要文化財・祖師堂。1678年に建てられた)

(荒行堂)

(国重要文化財・四足門。鎌倉の愛染堂から移築されたという)

(法華堂)


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葛飾八幡宮(徳川家康所縁の神社)

住所:千葉県市川市八幡4-2-1

 祭神は息長帯姫命・誉田別命・玉依姫命。寛平年間(889~898年)、宇多天皇の勅願で京都の石清水八幡宮から分霊して創建された。平将門・源頼朝・太田道灌・徳川家康らの崇敬を受ける。

(鳥居)

(参道)

(随神門)

(拝殿)

(神楽殿)

(駒どめの石。源頼朝の馬が石に前足を乗せた際、蹄の跡が残ったことからこう呼ばれるようになった)

(国指定天然記念物・千本公孫樹。多数の幹が集まって一本の巨木のように見える。江戸時代、祭礼の時に数万の蛇が枝に現れたという伝承がある)

感想:神社の南側に「八幡の薮知らず」という名所があったのですが行くのを忘れてました…。


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臼井城(佐倉市)

住所:千葉県佐倉市臼井字城之内619-1

 14世紀中頃、臼井氏によって城の基礎が築かれたと考えられている。1479年、太田道灌に攻められ落城。戦国時代後期、臼井氏に代わって原氏が城主となった。1566年、上杉謙信が北条氏康の傘下だった当城を攻めるが撃退している。1590年、北条氏と共に原氏も滅亡すると酒井家次が入る。しかし1604年に高崎に移封となったため廃城となった。
 現在は臼井城址公園として整備されている。

(本丸と二の丸を結ぶ土橋)

(本丸と二の丸の間にある空堀)

(本丸の虎口)

(臼井城から眼下を望む。向こうに見える湖は印旛沼だろう)

(二の丸の入り口に建つ城趾碑)

(三の丸跡に建つ太田図書の墓。図書は道灌の弟で1479年に臼井城を攻めた際に討ち死にしている)

感想:本によっては本丸・二の丸・三の丸ではなく、主郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭という説明になっていました。現地の案内版も二種類ありました。どう違うのか良く分かりません。


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