上山城(月岡城)

住所:山形県上山市元城内3ー7

 1400年頃、里見満長が虚空蔵山に高楯城を築いたのが始まり。1535年、伊達稙宗に奪われていた高楯城を満長の子孫・武衛義忠が奪い返して、現在地に移し上山城と改名した。
 江戸時代には里見氏・坂氏・松平氏・蒲生氏と城主が替わり、土岐氏の時代に整備される。その当時は東に前川、西と南に沼と沢があり、城壁が巡らされていた。しかし1692年に天領となると建物などが破壊されてしまう。その後、当地を金森氏や松平氏が治めるが、城が再建されることは無かった。
 現在は月岡公園として整備され、1982年に郷土資料館として建てられた模擬天守がある。

(二の丸跡に建つ模擬天守)

(紫衣事件で上山に流された沢庵が上山城主・土岐氏に治世のあり方を説いた上中下三字説の碑)

(土岐氏の偉業を讃えるため2001年に植樹された土岐桜)

(本丸跡に建つ月岡神社の拝殿)

感想:西に堀跡があったようなのですが見忘れました。行った日は「上山かかし祭り」の日で城の周辺は大混雑しており、大名行列のようなものが練り歩いていました。


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長谷堂城(慶長出羽合戦の舞台)

住所:山形県山形市長谷堂

 標高227メートル。築城年代は不明だが、1514年に伊達稙宗によって占拠された記録があるため、それ以前から存在していたことが分かる。最上氏の手に戻ってからは南西の守りの拠点として整備された。
 1600年の関ヶ原の戦いでは最上領内に侵攻した直江兼続率いる2万の軍勢を相手に城主・志村光安が猛攻に耐えて守りきったことは良く知られている。1622年の最上氏改易の際に廃城となった。

(城を囲んでいた水堀の一部)

(井戸の一つ・御前清水)

(遠景)

(城の入り口の一つ・観音坂口)

(城内に建つ長谷堂観音)

(本丸と城址碑)

(本丸からの風景。方角は不明)

感想:2007年、2013年の二度訪問したのですが、どちらも時間が無く写真も中途半端なものばかりです…。今度、時間のある時にゆっくりと見て廻りたいです。



加藤掃部左エ門の碑(加藤掃部左衛門清次の供養塚)

住所:山形県山形市長谷堂

 最上義光の家臣・加藤掃部左衛門清次は伊達政宗の母・保春院の警護役を務めた武将で、長谷堂城の戦いに参加して長谷堂城の戦いで戦死したと伝わる。後日、加藤家が墓標として石を建てた。一度は別の場所に移転されたが、2000年に当地に戻されている。

(加藤掃部左エ門の碑)

(五輪塔の頭の部分だろうか?)


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