赤碕殿家(地元の豪族の供養塔)

●赤碕殿家
住所:鳥取県東伯郡琴浦町赤碕
駐車場:花見潟墓地の駐車場を利用

 元弘3(1333)年、後醍醐天皇を推戴した名和長年らが籠もった船上山攻めに北条軍の一員として参加し、敗北後に当地に住み地名から赤碕姓を名乗った武将がいた。その後、石碑(供養碑?)が建てられている。文政3(1820)年、赤碕宿番所の役人・佐桐金左衛門が願主となって地元の友三良が中心となって再建された。赤碕氏は地元では「赤碕さん」と親しみを込めて呼ばれているという。

赤碕殿家

赤碕殿家

感想:花見潟墓地を散歩していたらあったので参拝しました。



伯耆小波城(名和長年に攻撃された城)

●伯耆小波城
住所:鳥取県米子市淀江町小波
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀切
標高:16メートル/比高:8メートル

 壺瓶山のそばにあり昔は日本海が当地まで入り込んでおり天然の良港がそばにあった。築城者、築城年代は不明だが『伯耆誌』には元弘年間(1331~34)に大石橋五郎左衛門が居城としていたとの記載がある。元弘3(1333)年、船上山に籠もる名和長年との戦いに敗れ撤退した佐々木清高は当城に撤退し名和軍を迎え撃った。しかし落城し船に乗って隠岐に逃れたという(『参考太平記』)。
 戦国時代は尾高城の支城だったが土砂の沖積により港としての機能を失いつつあったという。

(全景)
全景

(入口)
入口

(曲輪)
曲輪

(土塁?)
土塁?

(北にある伝・船着き場)
伝・船着き場

(近くにある三輪山の清水。駐車場も完備され日によっては汲みに来る方で賑わう)
三輪山の清水

参考文献:鳥取県の地名、鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)、鳥取県の地名、いなば・ほうきの墓碑めぐり、尾高の里 二、

感想:堀切や櫓跡と思われる塚跡があったそうですが面倒で探しませんでした。
 場所も諸説あるみたいです。


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三輪神社(名和長年と尼子経久によって焼失した神社)

●三輪神社(名和長年と尼子経久によって焼失した神社)
住所:鳥取県米子市淀江町小波631
駐車場:あり

 祭神は大物主命、速須佐之男命、少名毘古那命。近世に書かれた『三輪神社縁起書』によると崇神天皇7(BC91)年、諸国で疫病が流行り鎮めるため大和の三輪山(大神神社)の神・大物主命を勧請したという。創建当時は三輪山東の宮広峰にあった。薬師寺という神宮寺もあり広大な境内を持つ神社だったが、元弘3(1333)年に小波城が名和長年によって落とされると兵火で社殿、宝物、古文書が焼失する。戦国時代には尼子経久の侵攻によって焼失した。そのため衰退し正保2(1645)年、現在地に移転する。
 近世には鳥取藩主・池田家から崇敬を受け社領が寄進された。福田庄大社と称していたが、安政7(1860)年に中間庄大社に改める。

(鳥居)
鳥居

(燈籠)
燈籠

(参道と拝殿)
参道と拝殿

(本殿)
本殿

(良縁占いの石。眼を閉じて願い事を心で唱えながら、無事に向こうの石に辿り着けると願いが叶うという。危ない気もしますが誰か挑戦してみてください)
良縁占いの石

良縁占いの石

(旧境内の三輪山にあった礎石)
礎石

(境内社の一つ・八幡神社)
八幡神社

(阿弥陀堂の近くにある五輪塔や宝篋印塔。圃場整備で集められ、小波城主・大石橋五郎左衛門と関係のある墓ではないかというが・・・うーん・・・)
五輪塔や宝篋印塔

五輪塔や宝篋印塔

阿弥陀堂

参考文献:鳥取県神社誌、現地の碑、鳥取県の地名、国語大辞典(新装版)

感想:現在の三輪神社に改めた時期が不明でした。現地の碑に「明治2年国史現在社」とあるので、この時ではないかと思うのですが。