三味山一行寺(山名時氏の供養塔)

●三味山一行寺
住所:鳥取県鳥取市戎町202
駐車場:不明

 浄土宗。西宗寺として鳥取市田島に創建され、天正5(1577)年に鳥取市栗谷町に移され現在の寺号に改められた。寛永9(1632)年(慶安3(1650)年とも)、現在地に移転する。江戸時代中期には遊行上人の宿舎となった。
 境内には応安4(1371)年2月28日の紀年銘のある宝篋印塔の一部があり、「因州太守孝子 源氏重造立」「右為鎮国静公 大禅定門寿塔」と刻んであるという。これは山名時氏の供養塔として子の因幡守護・氏重が建てたと考えられている。

(山門)
山門

山門

山門

(本堂)
本堂

(山名時氏の供養塔? 事情があってモザイクをかけています)
山名時氏の供養塔?

感想:ここには書けませんが、いろんな偶然の出逢いがあったお寺でした。



武田高信の妻の墓(若宮さん)

●武田高信の妻の墓(若宮さん)
住所:鳥取県鳥取市有富
駐車場:なし

 天正4(1576)年、山名豊国によって武田高信が誅されると高信の妻は松上神社の神主を頼るため高草郡荒神谷村(鳥取市有富)まで逃げ延び村人の倉庫に隠れた。しかし村人達は話し合いの結果、後難を恐れて妻の命乞いも聞かず殺害し衣服を剥ぎ取って埋めている。その際、妻は死に際に恨みの言葉を残した。
「この恨み長くお前達の子孫に祟り貧窮させ、倉庫を建てる者がいたら焼き殺す」
 それから里に怪奇現象が起きたため埋めた場所で供養を行い、のちに祝い若宮として崇めている。若宮とは激しく祟る無縁の霊を斎(いわ)い込めるために、大きな神格の支配下において祀り始めたもので、『民俗学辞典』によると供養祭を怠ると直ちに祟ることがあるという。

(入口)
入口

(若宮さん。手前にある「秀忠 勝之進之霊位」は昭和時代に建てられたもの。後ろの地蔵が供養を行った際に建てられたもののようで、その時は多数の卒塔婆が建てられたことから当地は卒塔婆谷と呼ばれるようになったという)
若宮さん

参考文献:鳥取県の地名、千代水村誌、日本民俗学辞典 [本編]、鳥取県史 第2巻 (中世)、因幡誌 卷四

感想:荒神谷村は祟りを恐れて近世初期まで倉庫を建てなかったそうですが、因幡志が書かれた寛政年間(1789~1801年)頃には既にその風習はなく村に倉庫が建てられていたそうです。
 現地の方に場所を尋ねた際「竹野…信高…だっけ?」みたいなことを言われました。一部の方を除いて若宮さんが忘れられているようなので、再び祟りが起きないか心配です。



鈩戸の両墓制(鳥取県西部の古い風習)

●鈩戸の両墓制
住所:鳥取県西伯郡大山町鈑戸
駐車場:なし

 鳥取県西部の大山の北側(日本海側)で多く見られた両墓制は、肉体を埋葬する墓と魂を祀る墓を建てるという風習である。現在、大山町では鈑戸地区だけに見られる。
 この鈑戸には九郎左衛門という者がおり、元弘3(1333)年に後醍醐天皇を船上山に案内し身代わりを務めたことから王身代という姓を賜った。今も後裔が残る。

鈩戸の両墓制

鈩戸の両墓制

感想:この辺りでは有名だと聞いて参拝してきました。