童学寺(刀痕の柱)

住所:徳島県名西郡石井町石井字城ノ内605

 真言宗善通寺派。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所。天武天皇の勅願で創建された。幼少期の空海が当寺で学んだことから童学寺と号したと伝わる。
 長宗我部元親の軍勢と阿波轟城主・近藤正次との戦いでは近藤軍が当寺の境内に籠もったため長宗我部軍との激しい戦闘が繰り広げられている。

(山門?)

(参道に建つ地蔵)

(本堂。本尊は国の重要文化財に指定されている木像の薬師如来)

(寛永年間(1624~1644年)頃に奉納された切支丹灯籠)

(大師堂)

(大師堂の右の柱に天正年間(1573~1592年)の戦乱の際の刀痕が見える)

感想:天正の兵火(≒長宗我部が焼いた)で全焼したということになっているらしいですが、刀痕の柱が残っているということは焼けたとしても一部だけなのでは・・・。


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阿波重松城(七人塚)

住所:徳島県名西郡石井町石井重松

 築城年代は不明。城主は近藤氏とされるが、地元では井内正広と伝わる。1582年、中富川の戦いで十河存保に大勝した長宗我部元親は余勢を駆って阿波各地の城を次々と落としていった。落とされた城の落武者七人が当城の門前に来て助けを求めたが、城主・正広は追撃してくる長宗我部軍に入り混まれるのを防ぐためか門を開けなかった。そのため七人は門前で自害して果てている。
 当時は飯尾川を天然の濠として内側には空堀と土塁を築いていたというが、現在遺構はない。

(城趾碑)

(亡くなった七人を祀る七人塚と馬頭観音)

(全景)

感想:周囲の道が狭く空き地もなかったので車を駐める場所を探すのに苦労しました。


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阿波轟城(近藤氏の居城)

住所:徳島県名西郡石井町浦庄下浦

 築城の時期は不明だが、三好氏の家臣・近藤正次が居城としていた。1581年、阿波を侵略していた長宗我部元親は諸将を阿波一宮城に集め、三好氏の本拠地・勝瑞城を叩こうとした。その前哨戦として当城を攻撃したが十河存保率いる援軍のため撃退されている。翌年の中富川の戦いで存保が阿波から撤退すると長宗我部の大軍に攻められ落城している。
 城は東西と南に水堀が巡らされ、北には飯尾川が流れている堅城であったという。

(本丸跡に建つ祠と碑)

(近くに建つもう一つの碑と供養塔?)

(城趾に地蔵が建っていたが城との関係は不明)

(全景)

感想:徳島線の下浦駅から北に50メートルも行かないところにあったのに飯尾川沿いをずっと探し回っていました。近所の方に聞いてやっと場所が分かりました。


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