住所:徳島県名西郡石井町石井重松
築城年代は不明。城主は近藤氏とされるが、地元では井内正広と伝わる。1582年、中富川の戦いで十河存保に大勝した長宗我部元親は余勢を駆って阿波各地の城を次々と落としていった。落とされた城の落武者七人が当城の門前に来て助けを求めたが、城主・正広は追撃してくる長宗我部軍に入り混まれるのを防ぐためか門を開けなかった。そのため七人は門前で自害して果てている。
当時は飯尾川を天然の濠として内側には空堀と土塁を築いていたというが、現在遺構はない。
感想:周囲の道が狭く空き地もなかったので車を駐める場所を探すのに苦労しました。