滋賀県南部史跡巡り2011(前半:三雲城・万里小路藤房の墓)

 2011年6月19日(日)、前々から計画していた甲賀地方の史跡巡りに行く。今日も残念ながら天候が良くない。

1.三雲城・・・湖南市吉永字城山。1487年、三雲典膳が築城。主家の六角氏は戦況が不利になると居城の観音寺城を捨てて三雲城に逃れることが度々あった。1570年、佐久間信盛に攻められ落城し、その後廃城となる。石垣などは水口岡山城を築く際に利用されたという。
感想:青少年自然道場の駐車場に駐めて登ったのだが、思ったより距離があり最初の史跡から疲労が・・・。
 この近くには至る所に三雲城の幟があるため、場所が分かりやすい。住宅街を通るので迷う車が多く危険だったのだろう。

(登り口にある碑)

(石垣)

(ここが古井戸かな、と思ったら・・・)

(この先にある古井戸の案内だった)

(土塁)

(堀切)


2.妙感寺・・・湖南市三雲1758。後醍醐天皇の側近・万里小路(藤原)藤房が開山したといわれる。藤房は建武の新政で恩賞方筆頭となったが、天皇に諫言して疎まれ隠棲。妙感寺で晩年を過ごしたと伝わっている。
感想:藤房のことは良く分からなかったが三雲城の麓にあったので寄ってみた。

(本堂)

(万里小路藤房の墓)

(不老の滝)


 寺を出ると三雲城で体力を消費したので昼食を取った。

(久々の天理ラーメン)

3.甲賀流忍術屋敷・・・甲賀市甲南町竜法師2331。元禄年間に建てられた甲賀武士・望月氏の旧宅。外敵に備えるため様々な仕掛けがある。
感想:住宅街の中にあり道が狭かった。建物の中には興味がなかったので、外観だけ写して次の目的地へと向かった。


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圓光寺(近藤重蔵の墓・分部家墓所)

住所:滋賀県高島市勝野2071

 臨済宗東福寺派。1358年、伊勢中山に創建された。戦国時代、伊勢上野城下に移転。分部光嘉が伊勢上野城主となると、光嘉によって分部氏の菩提寺と定められた。1619年、分部氏が近江大溝に移封されると、圓光寺も現在地に移されている。

(山門)

(近藤重蔵の墓。千島列島を探検し「大日本恵土呂府」の標柱を建て、幕府に蝦夷地の開拓を進言した。しかし息子の殺人事件に連座して大溝藩に預けられ同地で没した)

(大溝藩分部家墓所)




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大溝城(大溝陣屋)

住所:滋賀県高島市勝野

 大溝は琵琶湖経由で安土・坂本・長浜城などを結ぶ重要拠点で、ここに明智光秀の縄張りで城が築かれたといわれている。1578年、織田信長の甥・織田信澄が城主となるが、本能寺の変で信澄が大坂城で殺されると、丹羽長秀・加藤光泰・生駒親正・京極高次が城主となった。やがて城は解体されたが、1619年に分部氏が入ってくると城の西側に陣屋が築かれる。天守台跡、陣屋の移築門などの遺構がある。

(天守台跡)

(三の丸跡)

(陣屋の移築門)

(大溝藩初代藩主・分部光信を祀る分部神社)

(おまけ:JR近江高島駅にあるガリバー像)

コラム:大溝城の天守台に彼岸花(だったと思う)が咲いていたのが印象的でした。


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