2014年愛媛・香川行き(3日目その1:善通寺・香色山公園)

 2014年7月21日(月)、香川県善通寺市のホテルで起床。よく寝られた。軽く朝食を食べると出発。

・善通寺・・・香川県善通寺市善通寺町3-3-1。真言宗善通寺派総本山で四国八十八ヶ所霊場75番札所。空海の生誕地として有名である。

(駐車場にあった空海記念碑)

(済世橋)

(光明堂)

(御影堂)

(二宮金次郎と並び像の数が半端無く多い空海の像)

(空海の両親を祀っている佐伯祖廟)

(五重塔。1558年、三好実休が近くの天霧城に籠もる香川氏を攻めた際に焼いている)

(法然の逆修塔)

(足利尊氏利生塔)

感想:善通寺市と言えば善通寺、ということで来てみました。密教パワーがみなぎっている場所です。私は感じませんでしたが。

・香色山公園・・・善通寺の隣にある。

(ミニ八十八ヶ所の一つ・大窪寺の石仏。このミニ八十八ヶ所は四国征伐後に仙石氏に仕えた香川氏の旧臣の子孫が戸次川の戦いで戦死した先祖の供養のため1798年に建てたものだという。建てられた年月を見ると明治のものなども混じっているため、1798年から建て始めたのか、造り直したのだろう)

 善通寺が終わって疲れたので、知り合いに勧められたうどん屋・八輻に行く。駐車場の目の前にあるから行きやすいし。

(こだわり八輻)

 10時ちょうどに入ったため誰もいなかった。安いから「大盛下さい」とお願いしたら「三玉ですよ!?」と驚かれた。まあ朝からそんなに食う奴はおらんわな。でも香川と言えばうどんやし、たまにはええがん。

(ど~んと、大好きななす天もつけてみました)

 確かに量が多い…。結局、夕食まで飲み物だけで平気でした。


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2014年愛媛・香川行き(2日目その4:讃岐麻城)

・讃岐麻城・・・香川県三豊市高瀬町上麻。近藤氏の城だったが、1578年に長宗我部元親によって落とされている。白地城を追い出された大西覚用が一時、この城に逃げ込んでいる。
 ここはとにかく場所が分からんかった…。困って探し回っていて一軒の家を訪ねたところ、そこがたまたま城趾保存会の会長さんのお宅で案内してもらった。車で着いていったら県道23号に大きな看板が…なぜ気がつかなかったのだろう。
 城の入り口に来た時、そのまま車で行くかどうか尋ねられたが普通車では無理そうなので徒歩で登った。途中いろいろと話をしている内に長宗我部ファンだとばれた。
「確かにここら辺の人は長宗我部のことは良く思っていないけど、もう400年以上前の話だからねえ。これからは城を整備して長宗我部ファンの人にも来てもらいたいと思ってるよ」
 ほっ…。まあ香川県ではそんなに大したことにはならんと思うけど。

(車で行くのは止めて正解だった。絶対に擦っていた。この先に駐車場はあるから軽自動車なら大丈夫だと思う)

(城趾にある看板。西から東に向かって郭などが築かれているのは、元来、三好氏に備えてのものだったのだろう)

(外郭1)

(土橋と堀切)

(竪堀)

(ねらい岩。ここから敵を弓矢で狙い撃ったという)

(本丸跡。最近、観光客のために桜を植えられたそうな。個人的には見晴らしがいい方が…と思ったが見解の相違だろう)

(城の北側の大麻山に建つ電波塔。この辺りは高い山がないため、ここに電波塔が集中している)

 ここで会長さんとはお別れ。本当にありがとうございました!

(城の南にある横死ヶ谷。城主の近藤氏が落城の際、ここに落ちて亡くなったことから名付けられた)

 ここで時計を見ると17時。善通寺の知り合いと待ち合わせの時間が迫っていたため、急いでホテルに向かった。何とか間に合い、知り合いと合流。おっさん二人で行くには場違いな洋風居酒屋に行って長宗我部氏や讃岐の戦国史について話した。

(その時に教えてもらった「讃岐の古城跡と豪族たち」。戦国讃岐のマニアックな情報が載っていた)

 数時間、飲んで知り合いとはお別れ。いやあ~、楽しかった。かなり酔っていたため、ホテルに着いたらすぐに寝てしまった。
2日目の感想:前半はバリィさん、後半は長宗我部と好きなものと触れ合った1日だった。夜は旨い酒も飲めるし最高だった。


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2014年愛媛・香川行き(2日目その3:粟井神社・讃岐藤目城)

 せっかく大野原町まで来たんだから藤目城も行ってみようと思い、車で移動。あっさり着いた。

・粟井神社・・・ 香川県観音寺市粟井町1719ー2。祭神は天太玉命。842年の記録に登場するほどの古社だった。1578年、長宗我部元親の藤目城攻撃の際、城の麓にあったため焼失している。

(鳥居)

(拝殿)

(斎藤家を祀る御膳守神社…だと思う。毎年、5月と11月に末裔の方が集まって先祖の霊を慰めているという)

・讃岐藤目城・・・香川県観音寺市粟井町。斉藤氏の居城。1576年、長宗我部元親に降伏した斉藤氏だったが、讃岐侵攻を阻止しようとした十河存保の命で奈良元政が兵を派遣し、藤目城から斉藤氏を追い出し新目弾正を城代とした。しかし1578年に元親が再び攻撃し奪い返している。

(二の丸)

(二の丸に建つ城趾碑。藪の中にあるため撮影がしづらい…)

(城趾に建つ藤目山不動院)

(本丸(四国ミニ八十八箇所))

感想:遺構があったらしいのだが見ても良く分からなかった。


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