富士塚の碑(徳川家康敵情視察の地)

住所:愛知県江南市南山町

 490年頃の前方後円墳と伝わっており、周辺からは埴輪や土師器などが見つかっている。1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が小折城を訪ねた帰りに、この富士塚から敵情を視察し、小牧山城の先取りを決意したといわれている。1682年、生駒家の六代目当主・利勝が林信篤に碑詞を依頼し石碑を建てた。亀型の台石の上に建立されたため『お亀塚』とも呼ばれる。

(富士塚全景)

(富士塚の碑)

(富士塚から眼下に望む。当時は塚に生えている木も無く高い建物が周辺に無かったので敵陣が一望できたのだろう)




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久昌寺(生駒氏の墓)

住所:愛知県江南市小折字郷中1684

 曹洞宗。1384年、林朝忠が禅喜寺を創建。1387年に寺号が龍徳寺に改められる。その後、大和から生駒屋敷に移り住んだ生駒氏が菩提寺とした。生駒家宗の娘が織田信長の側室となり二男一女を生むが1566年に亡くなったため、当寺に葬られた。その際に寺号が戒名から取って久昌寺と改められている。

(入り口)

(本堂)

(生駒家累代の墓)

(織田信長の側室(一般には吉乃の名で知られている)の墓)




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生駒屋敷(小折城)

住所:愛知県江南市小折字郷中

 生駒氏は生駒山麓の谷口村に住んでいたが、応仁の乱の戦乱から逃れるため尾張の小折に移り住む。後年、生駒家宗の娘が織田信長の側室となり二男一女を産んでいる。織田信雄が尾張の国主になると小折城として改築を行なう。江戸時代、生駒氏は尾張藩に仕え名古屋城下に移り住み、小折城も一国一城令で廃城となるが、周辺領地を治める屋敷として利用された。
 現在は住宅や保育園になっている。

(城趾の一角に建つ碑)

(江南市布袋町中200に建つ生駒屋敷の中門。生駒家の典医だった広間家に移築された)

感想:生駒氏っていうと偽書説でお馴染みの『武功夜話』と絡んでくるので、どこまで本当なのか私の知識では良く分かりません。ただ、ここに屋敷があったのは間違いないようです。