大浦天主堂(フランス寺。日本最古の教会)

●大浦天主堂(フランス寺)
住所:長崎県長崎市南山手町5-3(拝観料が必要)
駐車場:近隣の有料駐車場を利用

 国宝。世界文化遺産。文禄5(1596)年、土佐の沖合にイスパニア船「サン=フェリペ号」が漂着した。これを知った豊臣秀吉は積み荷を没収し、その乗組員を拘留。この時、スペインが他国に宣教師を遣わして布教事業と共に征服もしていくという話を聞いたという(サン=フェリペ号事件)。
 慶長2(1597)年、その影響により秀吉の命で、フランシスコ会のバテレン3人、イルマン3人、日本人信徒17人、イエズス会の日本人イルマン3人の合計26人が捕らえられ、長崎で処刑(殉教)した(日本二十六聖人)。
 安政5(1858)年の日仏修好通商条約など各国との条約により長崎が開港される。文久3(1863)年、パリ外国宣教会から派遣されたフューレ神父が長崎奉行の許可を得て現在地を購入する。同じく派遣されたプティジャン神父が大浦天主堂建築の監督を任され、元治元(1864)年に完成した。この天主堂は二十六聖人のためにも建てられたため、殉教地の方向を向いている。
 元治2(1865)年2月、長崎市の浦上地区(平成の合併前の長崎市北部)にいた杉本ユリら浦上の隠れキリシタン約15名が大浦天主堂を訪れ、自分たちの信仰を伝え「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねた。この信徒発見を皮切りに外海・平戸・五島などに隠れキリシタンがいることが分かる。慶応3(1867)年、浦上四番崩れでキリシタンたちは西日本の各地に配流し拷問と弾圧を受けるが、明治6(1873)年に禁制が解かれて浦上に戻ってくると大浦天主堂は手狭になり増改築された。
 昭和8(1933)年に国宝指定される。昭和20(1945)年8月9日の原爆投下で被害を受けるが昭和22(1947)から修復工事が行われた。平成30(2018)年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。

(入口。長崎市なので下の有料駐車場からここまでは坂を登る必要がある)
入口

(キリスト教の聖年のマスコットキャラクター「ルーチェ」。聖年について調べたが、よく分からんかった)
ルーチェ

(天主堂。内部の撮影は禁止)
天主堂

天主堂

(信徒発見百周年記念碑。浦上の隠れキリシタンが尋ねて来た時のレリーフ)
信徒発見百周年記念碑

(プティジャン(プチジヤン)神父の像)
プティジャン(プチジヤン)神父の像

(教皇ヨハネパウロ二世の像。後ろには十字架上のキリストがある)
教皇ヨハネパウロ二世の像

(日本之聖母。左右には「慶応元年3月17日」「信徒発見記念」とある。3月17日は新暦で旧暦では信徒発見は2月20日だった)
日本之聖母

日本之聖母

(国指定重要文化財の旧羅典(らてん)神学校。明治8(1875)年に建てられ、大正15(1926)年まで使用された)
旧羅典神学校

参考文献:長崎県の地名長崎県の歴史散歩国宝 大浦天主堂公式サイト長崎市公式サイト

感想:観光名所なので、とにかく人が多かったです。


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