大浜熊野大神社(松平広忠崇敬の神社、下の宮)

住所:愛知県碧南市宮町5-46

 祭神は伊弉冉尊・速玉男命・崇徳上皇・事解男命・大国主命。1167年、地元の豪族・長田白正が紀伊の熊野大社から勧請し翌年に社殿を建てている。1386年に現在地に移された。天文年間(1532~1555年)、松平広忠が崇敬し度々参拝したと伝わる。
 1720年、加藤亀久(菊女)が伊豆大島に流された夫・加藤四郎左衛門の帰国を祈り、お百度をふんで文箱を海に投じたところ、四郎左衛門のもとまで流れ着いたという。
 熊野権現宮という名だったが、近年になって現在の名に改称された。同市大浜上町にも熊野大社があるため、区別するために下の宮と呼ばれている。

(一の鳥居)

(神松之跡。火災の時に神体が飛び出してかかった松という伝承は、これだったのだろうか)

(二の鳥居)

(拝殿)

(大国主命社)

(白蛇社。今年(2013年)はへび年だったので話題になったらしい)

感想:この日は節分だったので賑わっており、地元の方に碧南名物の人参をミキサーにかけたジュースと、しらすをいただきました。お酒も勧められましたが、車で来ていたので泣く泣く断りました(T_T)


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宝珠寺(永井直勝生誕地)

住所:愛知県碧南市音羽町1ー48

 曹洞宗。1543年、羽城主・長田重元が城の北西に仏殿などを創建したのが始まりである。徳川家康の家臣として活躍した重元の息子・永井直勝は当地で生まれたという。

(入り口。山号や寺号と共にしっかりと永井直勝生誕地と刻んである)

(山門)

(本堂の前にも永井直勝生誕地の碑があった)

(本堂)

(地蔵堂)

(墓地の一角に建つ長田重元の墓)

感想:近くの碧南市藤井達吉現代美術館で「永井直勝とその一族」展がやっていたので寄ってみました。


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称名寺(徳川家康の幼名・竹千代命名の寺)

住所:愛知県碧南市築山町2-66

 時宗。天台宗だったが1339年に時宗となる。1359年、和田氏の庇護で伽藍が整備され時宗の一大拠点となった。室町時代、松平家の始祖で遊行僧だった親氏とその父・有親が滞在し、有親は当寺で亡くなっている。その後、親氏は矢作川沿いに北上し松平郷に入り、松平家の婿となった。
 親氏の曾孫で徳川家康の曾祖父・信忠は寺領を寄進している。1543年、当寺での連歌会で発句「神々の ながきうき世を 守るかな」に対して家康の父・広忠が「めぐりは広き 園の竹千代」と脇句(発句の次に付ける七・七の句)をつけ、ここから当時の住職が家康の幼名を竹千代と名付けたという。
 江戸時代初期は徳川家所縁の寺ということで庇護されたが、延宝年間(1673~1682年)に伽藍が焼けてしまい、再建したものの往事の寺勢は取り戻せなかった。

(寺の駐車場にど~んとあった)

(宝物殿。信忠の娘・東姫が深く信仰し本尊とした聖観音菩薩立像などが納められている。聖観音菩薩立像は、もとは甚目寺の秘仏であったがある日住職が夢告により甚目寺から迎え安置したという)

(本堂。山号が東照山っていうのが素敵)

(徳川家祖廟の入り口)

(祖廟全景)

(有親の墓)

(親氏の墓)

(松平清康の父・信忠の墓。一族や家臣の反発を受けて若くして清康に家督を譲り当地に隠居した。しかし完全に表舞台から消えた訳ではなく幼い清康をサポートしていたと考えられている)

(渡宋天満宮)

(1976年に建てられた三州大浜東照宮)

感想:徳川(松平)満載のお寺でした。


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