東端城(永井直勝の居城)

住所:愛知県安城市東端町中縄手13-1

 1580年、三河大浜の豪族だった長田重元の長男・尚勝が築いた。1584年の小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取った永井直勝が千石を与えられ兄・尚勝に代わって東端城主となる。1616年、直勝が上野小幡に移封されると廃城となった。
 現在は城跡に城山稲荷社が建てられている。

(鳥居)

(鳥居の右には城趾碑が建っていた。いつだったか忘れたが平成20年前後に新しく建てられたものだった)

(稲荷社の祠)

(稲荷社の鳥居と城の土塁)

(稲荷社の駐車場付近。このように一段高くなっている)

感想:居館城から郭内城に移行する時期の城跡らしいのですが、私には良く分かりませんでした。


写真の提供についてはこちらをクリック


百合姫之祠(根崎陣屋)

住所:愛知県安城市根崎町

 1582年、徳川家康の家臣・永井直勝は西尾市寺津町の豪族・大河内秀綱の妹由利と結婚するが、由利の不義のため1585年に離縁した。そのため由利は船で実家に戻る途中、根崎町に上陸し自害している。哀れに思った地元の人達が遺骸を葬り塚が建てられたのが由利姫塚(百合姫之祠)である。かつては別の場所に建っていたが近年になって根崎陣屋跡に移されている。
 根崎陣屋は1651年に根崎村が東端村から分離独立した時に築かれた。領主・松平正綱は小牧陣屋を本拠地としていたが、根崎村周辺の八ヶ村を支配するために新たに陣屋を置いたという。現在は丘に碑が残るのみである。

(全景)

(入り口。遺跡の丘と書いてある標札?があった)

(丘の途中に建つ陣屋跡の碑)

(丘の上に建つ百合姫之祠)

(祠の屋根。芸が細かい)

感想:由利姫の遺品が安城市内のお寺に安置されているのですが、近所の方に聞いたのにお寺の名前を忘れました。


写真の提供についてはこちらをクリック


富士塚古戦場(第一次安城合戦)

住所:愛知県安城市浜富町6ー8

 1540年、織田信秀・水野忠政の連合軍が松平広忠の安祥城を攻撃すると、松平信康(広忠の弟。家康の息子とは別人)、松平利長らが援軍に駆け付けた。これに呼応して安祥城代・松平長家も討って出て激戦の末、信秀らの撃退に成功する。しかし信康・利長・長家も戦死するなど松平家も大打撃を受けた。
 後年、戦死者を弔うため当地の周辺に十三塚が築かれる。富士塚はその中心となる塚で、もとは武士塚と呼ばれていたと推測されている。

(富士塚)

(その2)

感想:本やネットには住所が安城市上条町になっているのですが、塚は安城コロナの敷地内にあるので、浜富町が正しいと思う。上条町は隣町なので、この辺り一帯が戦場だったとは思いますが…。それとも上条町に塚が残っているのだろうか。


写真の提供についてはこちらをクリック