足利学校(足利尊氏の像)

住所:栃木県足利市昌平町2338

 創建年代には諸説ある。一時荒廃したが、関東管領・上杉憲実が再興している。上杉氏が衰退すると、足利荘を領した長尾氏が庇護した。1549年、フランシスコ・ザビエルは「日本で一番大きな大学でもっとも有名な坂東の大学」と記している。戦国時代末期には関東を支配した北条氏の庇護を受けた。江戸時代になって幕府の統制下に入ると寺社的な要素を強めている。
 現在は国指定史跡となり、1990年に方丈や庫裡などが復元された。

(入徳門)

(孔子像)

(稲荷社)

(学校門)

(旧遺跡図書館)

(孔子廟)

(孔子廟にある坐像)

(孔子廟にある小野篁の像)

(南庭園)

(方丈)

(上杉憲実公顕彰碑)

(足利学校の代官だった茂木家累代の墓)

(近くに建つ足利尊氏の像)

感想:車を駐めるところが無さそうだったので、鑁阿寺から歩いて行きました。


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鑁阿寺(足利氏宅跡)

住所:栃木県足利市家富町2220

 真言宗。1196年、足利義兼が屋敷に持仏堂を建てたのが始まりだという。その後、子の義氏が伽藍を建立して足利氏の氏寺とした。戦国時代に荒廃するが、江戸時代に入ると幕府の保護を受ける。
 1922年、足利氏宅跡として国の指定史跡になっている。

(市の重要文化財・北門)

(境内と道を隔てる堀)

(大御堂)

(北条政子の妹・時子を祀る蛭子堂)

(足利尊氏を祀る御酉堂)

(源氏の祖と足利十五代将軍を祀る御霊屋)

(国の重要文化財・経堂)

(桜)

(中御堂)

(大御堂の正面)

(多宝塔)

(弘法大師像と桜)

(楼門)

(鐘楼)

感想:徳川家が源氏の末裔を称していたため、江戸幕府が再建・建立した建物が多かったです。
 人の多さはさすが観光地ですね。


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法楽寺(足利義氏の墓)

住所:栃木県足利市本城3-2067

 曹洞宗。1249年、足利義氏が開基した。義氏は北条氏の縁戚で承久の乱などで活躍している(古河公方の義氏は末裔)。江戸時代には足利藩主・戸田氏の菩提寺となっている。

(入り口。この辺りの道はかなり狭いの注意が必要)

(山門)

(本堂)

(鐘楼)

(六地蔵)

(足利義氏墓所)

感想:戸田氏の墓もあったようなのですが場所が分かりませんでした。


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