神指城(上杉景勝の居城予定地)

住所:福島県会津若松市神指町高瀬

 1600年3月、会津120万石の領主となった上杉景勝が築城を開始。6月には形が整い55ヘクタールもの巨大な城を築いた。しかし会津征伐により中断、翌年には景勝が米沢に減封されたため、未完成のまま廃城となる。

(二の丸の土塁跡)

感想:何も調べずに行ったため、本丸に遺構があるのを知らずそのまま帰ってしまいました…。二度と行けないかもしれないのに残念です。


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松平家廟所(会津藩主松平家墓所)

住所:福島県会津若松市東山町大字石山字墓山

 1657年、保科正之の息子・正頼が死去した際に開かれ、会津藩主松平家の墓所に定められた。二代正経~九代容保までの墓がある。

(入り口)

(そこそこある石段を登っていくと墓所が見えてくる)

(九代容保の墓)

(五代容頌の墓)

(三代正容の墓)

(全景)

感想:周辺に駐車場が無く遠くに駐めて歩いて行きました。


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摺上原古戦場(三忠碑)

住所:福島県耶麻郡猪苗代町長田

 1589年6月5日、伊達政宗は会津の蘆名義広を攻めるため摺上原に進撃した。これを迎え撃った義広だが敗退し実家の佐竹氏のもとに逃げている。

(義広を救うために戦死した金上盛備・佐瀬種常・佐瀬常雄を讃えるため松平容敬が建てた三忠碑)

(会津若松と本宮宿を結んでいた二本松街道の遺構)

感想:車が一台しか通れない松並木を進むため、途中で場所が正しいのか不安になりました。


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