牟呂八幡社(ええじゃないか発祥の地)

住所:愛知県豊橋市牟呂町字郷社1

 祭神は応神天皇・神功皇后。697年に創建された。1186年、八幡大菩薩を祀る。1222年、鎌倉幕府の命で鎌倉の鶴岡八幡宮を参考に増築した。当地を支配した武将の信仰が篤く、戸田氏・今川義元・池田輝政・徳川家康が修築や寄進を行っている。
 1867年、この辺りで伊勢神宮の札が降ってきたため、当社で祭りを行った。その後も札が降ってきたため、それが江戸時代末期に流行した「ええじゃないか」に発展していったと伝わる。1945年の豊橋大空襲で社殿のほとんどが焼失したが、1958年に再建されている。

(鳥居)

(鼓楼)

(参道。良く分からないゆるキャラがいた)

(拝殿。中は神事の最中だった)

感想:この日はご覧の通り、春祭りで写真撮影どころではありませんでした…。また来よう。


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悟真寺(ロシア兵捕虜収容所)

住所:愛知県豊橋市関屋町212番地

 浄土宗。1336年、善忠寂翁が足利義詮に頼み創建した。牧野古白が今橋築城の際、現在地に移る。江戸時代には徳川家康など徳川将軍や朝鮮通信使の宿泊所となり、吉田三ヶ寺の筆頭として栄えた。
 1878年、明治天皇行幸の際の行在所となる。日露戦争の際、ロシア兵の捕虜収容所となった。1945年の豊橋大空襲で全焼するが、戦後に再建される。

(入り口)

(本堂)

(明治天皇行在所の碑)

感想:全焼したため名刹だった痕跡はどこにもなかったですね…。


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吉田神社(手筒花火発祥之地)

住所:愛知県豊橋市関屋町2

 祭神は素戔嗚尊。1124年、流行した疫病を鎮めるために創建された。源頼朝・安達盛長・今川義元・徳川家康の保護を受ける。1558年、今川義元の家臣で吉田城代だった大原知尚が吉田神社への奉納のため花火を打ち上げたのが手筒花火の始まりだと伝わる。
 今でも境内で手筒・大筒の花火が奉納され豊橋市の夏の風物詩となっている。

(鳥居)

(手筒花火発祥之地の碑)

(拝殿)

(明治になって合祀された金柑丸稲荷社と城守護稲荷社。城守護稲荷社は吉田城の鬼門に建てられていたため鬼門除の神として祀られている)

感想:行った時はちょうど結婚式の最中でした。


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