安城古城(志貴庄の荘館跡)

住所:愛知県安城市安城町社口堂27-2

 1034年、関白・藤原頼通が志貴庄(現在の安城市東部)の領主となり、当地に荘官の館が建てられたのが始まりと伝わるが定かではない。鎌倉時代には地頭・安藤氏が居館とする。室町時代には和田氏の居城となるが、1438年に安祥城を築いてそちらに移っている。1540年の第一次安祥合戦では松平一族が当城に籠もったという。

(全景。このこんもりした部分が土塁跡なのか?)

(鳥居と説明版。鳥居は2011年に建てられたもの)

(祠)

感想:周りは住宅街で駐車場が無く難儀しました。結局、近くの幸楽苑で食事をした後、そのまま行きました。


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東条塚(松平康忠の供養塚)

住所:愛知県安城市安城町多門

 1540年、織田信秀・水野忠政の連合軍が松平家の安祥城を攻撃すると、東条の松平康忠らが救援に駆け付けた。これに呼応して安祥城代・松平長家も討って出て激戦となり、遂に信秀らの撃退に成功したが、康忠は家臣達と共に戦死してしまう。その康忠が戦死した場所に建てられたのが東条塚だと伝わる。

(東条塚。市営多門霊園の一角にある)

感想:ここでお墓参りの方とすれ違って言葉を交わした後、「(お墓参りをされている皆さんの)邪魔になるのですぐに帰ります」と言おうとしたところ、言葉をはしょって「邪魔になるので…」とだけ言ってしまったため、「お前は撮影の邪魔になるので、どいてくれ」みたいな感じになってしまい非常に気まずい思いをした。皆さんも言い方には気を付けましょう。


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桜井神社(三河三白山神社)

住所:愛知県安城市桜井町桜林17

 安城市内にある大岡・上条・桜井の各白山神社を総称して三河三白山神社と呼ぶ。1603年、徳川家康は祖父・松平清康の出陣中に残された家族が武運長久を祈願したことから社領を寄進している。
 桜井神社の創建時期は不明だが平安時代の記録に残っているほどの歴史を持っている。1527年、桜井城主・松平親房が社殿を造営し、1610年には徳川家康の命を受けた三河の奉行・米津親勝が本殿を修築している。

(クロマツ)

(境内)

(三の鳥居)

(拝殿)

感想:私は三の鳥居に車を駐めたので分かりませんでしたが、一の鳥居から歩くとかなり広い神社のようです。本殿が立派だそうなのですが見ることが出来ませんでした。


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