尾張一宮城

住所:愛知県一宮市本町三丁目

 真清田神社の神官・関長重が神社と社領を守るために築城した。長重の息子・長安は織田信長に従い各地を転戦。小牧・長久手の戦いの際には、親族の森長可に従って羽柴軍に付き、長久手で戦死している。
 現在は三菱東京UFJ銀行・一宮支店の前に碑があるのみ。

(碑)


写真の提供についてはこちらをクリック


三ツ井重吉城

住所:愛知県一宮市丹陽町重吉城戸

 大永年間、尾藤重吉が信濃から移住し築城。尾藤氏は織田信長によって滅ぼされたが、生き残った一族が羽柴秀吉に仕え青木姓を名乗る。小牧・長久手の戦いの際は、織田・徳川連合軍が占拠し、小牧山城と清洲城を結ぶ中継地点として利用された。

(碑と説明版)

コラム:小高い丘の上にありました。


写真の提供についてはこちらをクリック


苅安賀城(小牧・長久手の戦いの舞台)

住所:愛知県一宮市苅安賀

 築城年代は不明。近江浅井氏の一族・浅井新八郎高政が築城。高政の子・田宮丸長時は織田信雄の重臣であったが、1584年、羽柴秀吉に内通したとして討たれ苅安賀城も落城している。小牧・長久手の戦いでは織田・徳川連合軍の城として使われた。
 遺構として小高い丘があったが、苅安賀自動車学校が建てられた際に整地され、現在は学校の横に碑が建つのみである。

(碑)


写真の提供についてはこちらをクリック