可成寺(森長可・可成・可行・可隆・坊丸・蘭丸・力丸の墓)

住所:岐阜県可児市兼山596

 1570年、近江宇佐山で戦死した可成の菩提を弔うため、息子・長可が創建した。1600に森家が信濃海津城に移封された際、現在地に移転。江戸時代には森一族の赤穂・三日月・新見藩などから扶持が与えられた。
 1967年には、蘭丸・坊丸・力丸の供養塔が八百津町中野より当寺に移されている。

(山門)

(本堂)

(森一族の墓(2006年撮影)。左から長可・可成・可行(可成の父)・可隆・坊丸・蘭丸・力丸)

コラム:寺から森家一族のお墓に行くのに名鉄の線路を通らないと行けなかったのですが、廃線になったので今は気にせず行けます。いいのか悪いのか・・・。


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美濃金山城(蘭丸ふる里の森)

住所:岐阜県可児市兼山

 斎藤道三の命を受けた斎藤正義が当地に烏ヶ峰城を築いたのが始まりといわれる。1565年、織田信長が美濃を抑えると、重臣・森可成が入り金山城と改名した。可成が戦死すると息子・長可が跡を継ぎ、長可が戦死すると長可の弟・忠政が城主となる。しかし1600年に忠政が信濃海津城に移封され、兼山の地を与えられた犬山城主・石川光吉は金山城を廃城。木材は犬山城修築のために使われたという。
 現在、麓は「蘭丸ふる里の森」として整備されている。

(本丸)

(大手枡形)

(伝・蘭丸産湯の井戸)

(金山城中腹から蘭丸ふる里の森を望む)


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竹中陣屋(竹中半兵衛の墓)

住所:岐阜県不破郡垂井町岩手

 菩提寺山で5千石の領土を与えられていた竹中重門が関ヶ原の戦い後、山の麓に陣屋を構えたものである。現在、陣屋内は小学校や保育園などが建てられ一部の遺構を残すのみとなっている。

(現存する櫓門)

(陣屋全景)

(竹中半兵衛重治の像)

(岐阜県不破郡垂井町岩手の禅幢寺にある竹中半兵衛の墓)

コラム:すぐ近くに資料館があるんですが、私が行った時は閉まっていたため、張り紙に書いてある電話番号に電話をして開けてもらいました。


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