≫
四方山話≫
【逸話の紹介】→
次の話
|
三歳の子でも
「私が帰っている間に、総構はもちろん二の丸・三の丸もこちらの軍勢で埋め立て、三歳の子が上り下り出来るようにしておけ」 そう笑って命令したため、正純はさっそく埋め立てを開始した。翌日、織田長益・大野治長などが来て約定と違うと抗議。 「徳川軍が総構、こちらが三の丸以降ではなかったのか」 しかし正純は病気と称して直接は会わなかった。そうこうしている内に残さず埋め立てられてしまったので「騙された」と豊臣軍の者達は憤慨。 その夜、後藤基次と真田幸村が話し合い、茶臼山に夜襲をかけようとしたが、その日に家康が立ち去ったため手筈違いで中止になってしまった。(『大坂御陣覚書』) Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
≫
四方山話≫
【逸話の紹介】→
次の話
|