丹羽氏信

(にわうじのぶ)

生没年:1590〜1646年/ 身分:三河伊保1万石の大名/ 官位(通称、号):勘助・式部少輔

伊保陣屋跡
氏信が城主だった愛知県豊田市にある伊保陣屋跡

 丹羽氏次の次男。伊勢に生まれる。氏次は織田信長・信雄の家臣で、小牧長久手の戦いで功があり、関ヶ原の戦い後、三河伊保1万石の大名となった人物。氏信は1599年に徳川家康に謁見し、1601年に氏次が亡くなったため、家督と遺領を継いだ。
 大坂冬の陣に従軍する。夏の陣にも従軍し5月6日の道明寺の戦い後藤基次相手に奮戦する。5月7日の天王寺・岡山での最終決戦では明石全登を破り、城内に攻め入った。その功で家康から帷子(かたびら)を賜る。1635年に御書院番頭に任ぜられた。1638年に美濃岩村2万石に移封される。1646年5月11日死亡。岐阜県恵那郡岩村町の妙仙寺に葬られた。

管理人・・・彼は伊保陣屋を完成させて城下町を整備したそうです。ちなみに写真の伊保陣屋ですが、案内板も何もないので分かりづらいです。しかも伊保西古城・伊保東古城・伊保古城などがあり、ますます分かりづらくなっています。ここの目印は保見町会館です。そこから道を挟んで向かい側(南側)が陣屋の辺りです。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2005年11月25日
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