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【遅れて来た男】出羽米沢城主・伊達輝宗の長男。母は出羽山形城主・最上義光の妹。幼名・梵天丸。5歳のときに疱瘡(天然痘の別称。伝染病で高熱を発し、あばたなどの後遺症を残す)にかかり、右目を失明してしまう。11歳の時に元服する。1584年、18歳の時に家督を譲られる。この家督相続の祝賀に安達郡の大内定綱が政宗に仕えたという約束を反故にしたので大内領に攻め込んだ。ここで撫で斬りをし、周辺領主を恐怖させる。
【激戦】1585年、会津の芦名家と常陸の佐竹家が、政宗が攻めていた畠山氏を救援するために北上し、両者は人取橋で激突。伊達軍8千に対して芦名・佐竹等連合軍は3万という大軍だったので次第に追い詰められるが連合軍は事情があって撤退し助かる。
領地を没収された大崎・葛西の旧臣達が、新領主・木村吉清の政治に不満を持つ農民達と一緒になって大規模な一揆を起こしたので蒲生氏郷と共に征伐に向かおうとした。しかしここで一揆を煽動しているのは政宗だということがばれて上洛し秀吉に弁明している。そのおかげで改易は免れたが、領土の一部が没収され、今揉めている大崎と葛西の旧領地を新たに与えられることになった。 朝鮮出兵では、1593年に朝鮮半島に上陸しているが半年ほどで帰っている。1595年、豊臣秀次が謀叛を企んでいるという理由で切腹させられ、秀次と親しかった政宗にも謀叛に荷担しようとしていたという疑惑がかかるが、ここでもうまく弁明して事なきを得た。
【百万石のお墨付き】1598年に秀吉が死ぬと徳川家康に接近、娘・五六八姫と家康の六男・辰千代(松平忠輝)を婚約させる。
大坂の陣後の政宗は茶・料理・和歌などで日々を無駄なく過ごし、1536年5月24日、江戸で死亡。辞世の句は『曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く』。
管理人・・・この人が人気があるのは想像させる部分が多いからでしょうね。「もしあの時、、、」って人に空想させる余地が多いですし、何かしてくれそうな感じがしますからね。 参考文献:伊達政宗―独眼竜の野望と咆哮・戦国人名事典 コンパクト版・大坂の陣名将列伝・大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略、ほか UPDATE 2002年2月13日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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