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政矩は1590年に鹿野城に生まれる。1602年に初めて徳川家康に拝謁し、1604年には豊前守の官位を与えられ徳川秀忠の近習となった。
【因幡の大名】1609年4月には、丹波・篠山城主だった松平康重の娘(休子)と結婚し、1612年に父が亡くなると因幡鹿野4万3千石を継いだ。
1619年5月に広島城の福島正則が改易となると、堀尾忠晴・森忠政ら西国の大名と共に、亀井家も家老・多胡水主が出動した。この時、政矩は伏見で病中であったが、急いで広島に駆け付けている。しかし幕府の上使は「無理をしなくてもいい」と言い、政矩を津和野に帰国させた。 8月、上京途中の伏見の狼谷で馬が暴れだし落馬。それが元で1619年8月15日に亡くなっている。遺骸は親しかった高台院ゆかりの寺・高台寺に葬られた。 管理人・・・政矩は山中鹿之助の娘婿・亀井茲矩の息子です(政矩は鹿之助の娘の子ではありません)。1619年8月に上京の命令があったのは、亀井家が今まで忠節を尽くしてきた功に酬いるのに、幕府が姫路城に移封する話をするためだったそうです。あの重要な姫路を任されかけたということは、幕府からの絶大な信用があったということですね。以上、津和野藩の基礎を築いた亀井政矩さんでした。お墓は高台院のお墓のすぐ横にあります。 参考文献:亀井茲矩・戦国人名事典 コンパクト版・戦国大名諸家譜・戦国大名諸家譜 UPDATE 2002年2月25日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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