乙宝寺(おっぽうじ)

住所:新潟県胎内市乙1112

 真言宗智山派。本尊は胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来。736年、聖武天皇の北陸の平穏を願いを受けて、行基と婆羅門(704~760年。南インドの人。名は菩提僊那(ぼだいせんな)。姓は婆羅遅。バラモンの出身。中国五台山の文殊菩薩を慕って中国に来たが、天平八年入唐した遣唐使に乞われて、来朝。大安寺に住み、天平勝宝三年僧正となり、翌年、奈良東大寺の大仏供養のおりには導師となった)が創建した。
 婆羅門が釈迦の左眼を納め寺号を乙寺(きのとでら)と名付ける。のちに後白河院天皇が左眼を納める金塔を寄進した際、寺号が乙宝寺に改められた。
 当寺で猿が法華経を写経してもらい、その功徳で越後の国司に生まれ変わったという「写経猿伝説」の伝説が『今昔物語集』などに記載されている。

(入り口)

(県重要文化財の弁天堂。江戸時代初期に建てられた)

(1745年に改修された仁王門)

(鐘楼堂)

(空海が独鈷杵を使い唱えたところ湧きだしたという伝承のある独鈷水)

(国重要文化財の三重塔。村上城主・村上忠勝が願主となって1614年に着工、京都から招かれた棟梁が1620年に創建した)

(大日堂。1745年に再建されたが、1937年に焼失する。しかし1983年に再建された)

(六角堂。格子戸に杉の皮を結んで祈願すると良縁が得られるという)

(空海が箸を刺したところ根付いたという伝承のある大葉樫)

(1995年に建てられた夢殿。明治時代に焼失した方丈殿の復元である)

(本坊)

感想:地元では「乙の大日様」と呼ばれて親しまれているそうです。


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