石園坐多久豆玉神社(龍王宮)

住所:奈良県大和高田市片塩町15-33

 主神は建玉依彦命・建玉依姫命。創建年代は不明だが859年には記録があるため、それ以前だと推測されている。社殿は放火によって1990年に全焼し、1993年に再建された。
 通称は龍王宮だが、地元では「じょうさん(龍王さんが訛ったものか?)」と呼ばれ親しまれている。

(鳥居)

(拝殿)

感想:「いわそのにいますたくむしたまじんじゃ」と読みます。


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2014年愛媛・香川行き(3日目その5:白峰合戦古戦場・神谷神社)

・白峰合戦古戦場三十六・・・香川県坂出市林田町総社。1362年、足利義詮から謀叛の疑いをかけられ南朝に走った細川清氏を、義詮から清氏討伐の命を受けた従兄弟・細川頼之が奇襲して討ち取った場所と伝わる。三十六というのは清氏側の戦死者の数や条里制の際の地名とも伝わるが定かではない。

(遠景)

(入り口)

(祠)

(細川将軍戦跡碑)

感想:場所が分かりづらかった…。間違って田んぼの中にある良く分からん塚に行ってしまうし。なんにしても車では行けないので気を付けて下さい。


・神谷神社・・・香川県坂出市神谷町550ー2。祭神は火結命・奥津彦命・奥津姫命。社殿は812年に空海の叔父・阿刀大足が造営したと伝わる。1219年に本殿が造営されたことがはっきりしており、建造年が分かる流造神殿としては国内最古である。

(鳥居)

(残念切りの石。当社に狼藉を働こうとした者がいたが、無数の熊蜂が群れをなして来たため境内に入ることが出来ず、鬱憤晴らしに斬りつけたのがこの石である)

(神木)

(拝殿)

(国宝の本殿)

感想:貴重な建物なので観光客が多いかと思ったら誰もいませんでした…。


 これで予定は終わり時間もちょうどいい時間になったので、与島パーキングエリアにお土産を買うと家に帰った。充実した三日間だった。
本日の感想:夏で草や虫が多いため山城を避けたのだが、そのためマイナーな史跡が多くなってしまった。秋か冬に行って今度は山城を巡ろうと思う。

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2014年愛媛・香川行き(3日目その4:仙石秀久の墓・聖通寺城)

・聖通寺・・・香川県綾歌郡宇多津町坂下2805。真言宗。行基の開基と伝わるが詳細は不明。1362年の白峰合戦の際、細川頼之が当寺の住職に祈祷させたおかげで勝利できたため伽藍を再興している。天文年間(1532~1555年)、兵火により伽藍が焼失し、生駒氏の讃岐国主時代に冷遇され荒廃したが、松平氏が高松藩主になると庇護を受け再興している。
 仙石秀久が讃岐を治めていた時、一揆が起き秀久は当寺の近くで首謀者を処刑したという伝承がある。

(境内)

(本堂)

(本堂近くに建つ仙石秀久の墓。左が本人で右が奥さんだろうか? 秀久は讃岐国主時代に当寺を庇護している)

・聖通寺城・・・香川県綾歌郡宇多津町坂下。応仁の乱の頃、細川四天王の一人・奈良氏が鵜足郡・那珂郡の支配のため築いた城。1582年、長宗我部元親軍の来襲を知った奈良元政は抗しきれないと考え城を捨てて逃げている。その後、讃岐一国を与えられた仙石秀久の居城となったが、すぐに改易され生駒氏が入る。しかし生駒氏が高松城を築いて移ったため廃城となった。

(遠望)

(城跡の一部である積石塚古墳。仙石秀久の投石によって出来たという伝承がある)

(平山城跡の碑)

(今、聖通寺山は恋人の聖地になっている。写真は積石塚古墳の近くにあった喫茶店?結婚式場?)

(聖通寺山から見た瀬戸内海と瀬戸大橋)

 次の目的地に向かう途中、ハタダで休憩した。土産でも買おうかなと思って知人に「タルトは好きですか?」とメールしたら「嫌いです」と帰ってきた…。そうですか…。嫌いですか…。

(ハタダにいたバリィさん)


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