大行日吉法印の墓(三河万歳)

住所:愛知県安城市西別所町中新田

 三河万歳とは三河地方を本拠として発達した万歳(千秋万歳をことほぐ意)。また、その演者。烏帽子に大紋を着た太夫と鼓を打つ才蔵とが家々を回って祝言を述べ、こっけいな掛け合いを演じて人気を得たものである。現在でも行っている地域があるという。
 1467年、熱田の僧が当地に逃れて万歳を伝えたのが始まりと伝わる。松平氏が安祥城に進出した頃から万歳師が矢よけの祈祷を行い戦場にも付き従った。その後、徳川家康に庇護され発展したが、この時に万歳師を統率していたのが大行日吉法印だと考えられている。

(墓地の一角に建つ大行日吉法印の墓)

(大行日吉法印を祀る堂。墓から南に200メートルほど行ったところに建つ)

感想:三河万歳と聞くと、ドラマ「風神の門」で主役の忍者達が家康を暗殺するため近づく手段として稽古をして身につけたのを思い出します。


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三河高木城(高木氏発祥の地)

住所:愛知県安城市高木町下屋敷

 室町時代に高木宣光が当城を居城とした。宣光の孫・清秀は水野信元に仕え、三河一向一揆で活躍し徳川家康から三河大岡郷の判物を与えられている。その後、佐久間信盛に仕えたが信盛の追放後は織田信長の家臣となった。しかし本能寺の変で信長が亡くなると家康に仕えて当城に移り住む。1590年に家康の関東移封に従い当地を去ったため廃城となった。
 近くの竹藪には土塁の一部が残っていたが、宅地化に伴って無くなっている。

(全景)

(城趾碑)

(何が書いてあるのか良く分からなかった。何とか大神宮と刻んであったようだが…?)

感想:場所がとにかく分かりづらく車を駐めるような場所もなかったので探すのに苦労しました。


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大岡白山神社(三河三白山神社)

住所:愛知県安城市大岡町宮東43

 安城市内にある大岡・上条・桜井の各白山神社を総称して三河三白山神社と呼ぶ。1603年、徳川家康は祖父・松平清康の出陣中に残された家族が武運長久を祈願したことから社領を寄進している。
 大岡白山神社は718年の創建で当初は大岡明神と称していた。1533年、松平清康が社殿を造営したが織田軍の兵火で焼失している。1567年、徳川家康が再建した。
 当地・大岡郷は大岡越前で有名な三河大岡氏発祥の地であり、大岡氏は当社の神職となり領地を社領としていた時代があった。

(鳥居)

(境内。地元の皆さんがゲートボール中だった)

(門)

(拝殿。ゲートボールでお疲れの方々が一休み)

(拝殿の葵の紋)

(本殿)

感想:境内でゲートボールが許可されるものなんですね。


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