九鬼嘉隆の首塚・胴塚(答志島)

住所:三重県鳥羽市答志町和具

 2012年10月27日(土)、鳥羽市周辺の史跡巡りに行って来た。メインは答志島にある九鬼嘉隆の墓。田丸城に寄った後、鳥羽駅前にある佐田浜港に行く。

(フェリー乗り場)

(フェリー・かがやきに乗って答志島を目指す)

(フェリーはめっちゃ揺れて写真は撮りづらかった。でもご覧の通り眺めは最高)

(答志島に到着)

 和具港を降りると九鬼嘉隆の首塚を目指す。平地にあるかと思っていたが予想と違って小山の上に建っていた。

(首塚全景。嘉隆は関ヶ原の戦いで息子・守隆と袂を分かち西軍に付くが、西軍が敗れたため答志島で自刃する。伏見城で徳川家康の首実検の後、当地に葬られた)

(首塚正面)

(囲いの中には塚があり『大隅大権現』と刻んである。大隅は嘉隆の官位・大隅守のことだろう)

(塚から見える海)

 ここから見晴らし台に移動。企業や個人の方がしゃもじや絵馬に願い事を書いて吊していた。

 景色を満喫すると麓に建つ胴塚に行く。

(銅塚全景。嘉隆がすぐ近くの洞泉庵で自刃したため、その直後に守隆が建てたもの。その後、守隆の三男・隆季が1669年に再建した)

(胴塚と九鬼嘉隆四百年祭の標柱。五輪塔の前には賽銭が置いてありました)

(囲いの中に建つ五輪塔)

(胴塚を下るとある洞泉庵跡。1599年に創建されたらしい。今は和具浦公民館が建っている)

(嘉隆の血で染まった刀を洗ったという血洗い池)

 これで答志島での史跡巡りは終了。フェリー乗り場に戻る。

(皆さんも機会があれば是非)

 フェリーに乗って本州に戻る。帰りは行き以上に揺れて写真撮影どころではなかった。

(頑張って撮った答志島全景)

 佐田港に着くとすでに14時前。お腹が空いたので近くで伊勢天そばを食べる。

 その後、鳥羽城などを廻って愛知県に帰った。
感想:フェリーの時間の関係で1時間半ほど答志島にいたのだが、あっという間でした。予定では史跡巡りが30分くらいで終わるから食事をして時間を潰すことになっていたのだが、そんな余裕はまったくなかった。
 鳥羽市の本州側から20分で着きますし、首塚は港から徒歩で20分、胴塚は10分くらいで行けますので、行ってみてください。たまにはフェリーの旅も楽しいですよ!




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円蔵院(穴山信友の墓)

住所:山梨県南巨摩郡南部町南部7576

 臨済宗妙心寺派。天文年間(1532~1555年)に甲斐の河内地方の領主だった穴山信友が自身の菩提寺として創建した。信友の息子・信君が寄進した信友の画像と絹本著色仏涅槃図は県の文化財に指定されている。

(山門)

(本堂)

(穴山信友の墓。本堂左手の奥に建つ)

(信友の墓その2)


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南部氏館跡

住所:山梨県南巨摩郡南部町南部

 新羅三郎義光の後裔・加賀美光行は、平氏討伐の功で南部郷を与えられ南部姓を名乗り当地に屋敷を構えた。しかしその後すぐに奥州藤原氏の討伐の功で陸奥糠部郡を与えられ、一族のほとんどが陸奥に移っている。

(唯一の遺構・井戸跡)

(落ちないように鉄柵がしてあります)

(屋敷跡のそばを流れる富士川)

感想:とにかく場所が分かりづらかったです。近くに案内の看板くらいは欲しかった・・・。


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