徳島・香川史跡巡り2010(2日目後編:犬伏左近墓所・愛染院・鑓場古戦場)

10.犬伏左近墓所・・・板野郡藍住町東中富にある。三好家の家臣で中富川の戦いに参加し戦死した犬伏左近の墓。
感想:東中富児童館の奥の片隅にあった記憶がある。周辺のビニールハウスを見ると「中富川の古戦場近くに来たなあ」って気分になる。王子神社の印象が強かったからかな?

(犬伏左近墓所)

(犬伏左近を祀る大富彦神社)


11.愛染院・・・板野郡板野町那東字居内32にある。上記の板西城主・赤沢信濃守と板西城将兵の墓がある。赤沢信濃守は中富川の戦いの最中にわらじの紐が切れたため、長宗我部軍の兵に討ち取られてしまった。そのため、現在では腰より下の病気を治してくれる霊として祀られている。
感想:赤沢信濃守の廟所はすごい数のわらじがあった。コルセットも見かけた。私も腰より下の病気があるので祈っておいた。

(赤沢信濃守の廟所)

(板西城将兵の墓)


12.鑓場古戦場・・・徳島市国府町東黒田にある。1553年、阿波守護・細川持隆が三好義賢に討ち取られると、持隆の家臣・久米義広は挙兵し主君の仇を討とうする。しかし衆寡敵せず中富川で討ち死。現在でもこの戦いは「鑓場の義戦」として語り継がれ、義広の忠義は今も讃えられている。
感想:なんて書いてみたけど、今は阿波の戦国史についてある程度詳しい人しか知らないと思う。地元では知られているかもしれないけど、地元民じゃないのでその辺りはイマイチ良く分かりません。
 近くに牛小屋があったのか獣の臭いがしていたのが印象に残っている。

(鑓場古戦場の碑)


 本日はこれにて終了。徳島市内でぶらぶらして時間を潰した後、帰った。

感想:昨日よりマシだけどやっぱりマイナーかな・・・。三好ファンは多いはずなので昨日より分かってもらえる史跡や人物が多いはず。

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徳島・香川史跡巡り2010(2日目中編:七条城・板西城)

7.瀬部城・・・徳島県板野郡上板町瀬部にある。中富川の戦いで討ち死にした瀬部氏の居城。ここも遺構は残っていない。江戸時代に子孫が建てた供養塔のようなものがあるのみ。


8.七条城・・・板野郡上板町七條にある。怪力で知られる七条兼仲の居城。兼仲は中富川の合戦で戦死している。
感想:ここは遺構があったらしいのだが、分かりづらいところらしく探さなかった。

(城趾碑)


9.板西城・・・板野郡板野町古城にある。赤沢氏の居城。中富川の戦いで長宗我部軍に城を落とされた。遺構はない。


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徳島・香川史跡巡り2010(2日目前編:久千田城・上桜城・切幡城・西条東城)

 2010年2月14日(日)、高松市のホテルから徳島県に向けて出発。長宗我部軍が通ったと言われる道を通って徳島県に出ると史跡巡り開始!

1.篠原長房親子の首塚・・・徳島県阿波市阿波町元町195の伊沢神社内にある。長房は三好家を支えた重臣だったが、讒言を信じた阿波を支配者・三好長治に攻められて自害した。長治の母で長房の弟・自遁とデキていた小少将という女性の仕業という俗説があるが定かではない。
感想:首塚というより首塚跡の碑という感じ。地元の方にお聞きしたところ「道路拡張に伴って首塚を移動させたので建てた」とのこと。なにかの本で五輪塔の首塚を見た気がしたので今でもどこかにあるのかな?

(首塚)

(伊沢神社)

2.伊沢城・・・阿波市阿波町岡地の蛭田池にある。伊沢氏の居城。長宗我部軍によって落とされた。遺構はあるようだが確認していない。

感想:上記の伊沢神社を勧請した豪族。すいません、それくらいしか分からないです。神社から南に100メートルくらいのところにあった。

(伊沢城趾の碑)


3.久千田城・・・阿波市阿波町大坪にある。小野寺氏の居城。小野寺氏は長宗我部軍によって城を落とされ美馬郡に落ち延びるが、四国征伐後に撤退する長宗我部軍を攻撃し復讐している。

感想:田んぼの中にぽつんとあった。盛り土は土塁の一部っぽいけど良く分からない。ちなみに読み方は「くちだ」で「くせだ」ではない(私は現地の案内板を見るまで「くせだ」だと思っていた)。

(ぽつん)

(城趾碑)


4.上桜城・・・吉野川市川島町上桜にある。篠原長房が築いた城。三好長治率いる7000人の兵に攻められ落城した。

感想:今回のメインの一つ。本丸近くまで車で行けたので意外と苦労しなかった。
 長治がこんなところで内輪もめしているから元親につけ込まれるんだよね・・・。まあ、長治は他にもいろんなところでいろんなことしているけど。

(本丸)

(城より川島市街と吉野川を望む)


5.切幡城・・・阿波市市場町切幡字神ノ木にある。三好家の家臣・森家の居城。森飛騨守は長宗我部軍に通じた岩倉城・脇城の城主に騙されて討ち死にした。遺構はない。

感想:城趾碑の後ろにあるスエヒロという有限会社が目印。というかあれがないと場所が分からん・・・。

(城趾碑)


6.西条東城・・・阿波市吉野町西条にある。阿波の中心・勝瑞城の支城。岡本美作守の居城。長宗我部軍によって落とされた。遺構はない。

感想:ここは阿波の戦国史で非常に悪名高い小少将の生まれた場所。小少将は細川持隆・三好義賢・篠原自遁らを手玉に取り、阿波を傾かせた女性として描かれることが多いが、本当にそんなに悪女だったのかどうか・・・。
 大抵、この手の女性は悪く描かれることが多いからねえ。そういうステレオタイプの方が分かりやすいし。前、見た阿波の史跡紹介の本では小説でもないのに自遁とねっちょりシーンまであった。
 あと、この土地の方のものとはいえ、碑のそばにある廃車なんとかならんものでしょうか・・・。

(城趾碑)


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