真田家を訴える

 1615年冬、真田信之の家臣・馬場主水が江戸に行き老中に訴え出た。
「真田家に反逆の意志があります。大坂冬の陣の時、信之が真田幸村に援軍を送りました。夏の陣でも密かに幸村と計って信之の息子・信吉信政を一番に大坂城に引き入れました。これは私が詳しく聞いたことです」

沼田城
信之が城主だった沼田城

「そういう話が出ているのでしたら、今すぐにも自殺します」
 主水の訴えの件を幕府の中山勘解由と朝倉藤十郎に問いただされた信之は断言。
「反逆の気持ちがあるなら自殺するのはもっともだが、その意志がない場合は弁解すべきだ」
 勘解由は信之の真意を問うた。
「私が反逆する意志があるなら関ヶ原の戦いで父・昌幸や弟と共に敵となっています。しかし上田城での攻防では父弟を捨て忠節を尽して力戦し勝利しました。その後、父が死に弟が思慮なく豊臣家の招きに応じて籠城してしまった。もし反逆する気があるなら言い訳をせずにすぐに自殺します」
「忠節は分かった。そのことを言上しておく。絶対に自殺するな」
 信之の言い分を聞いた勘解由は、取りあえず信之のもとを去った。

上田城
信之が城主だった上田城

 これを聞いた徳川秀忠は、信之の忠誠を褒め、信之が息子二人に付けた木村土佐ら4人と馬場主水を対決させる。その裁断のため、重臣の本多正信土井利勝を同席させた。
 まず木村土佐が重臣に尋ねた。
「主水は真田家でどのような身分と言っているですか」
「大坂の陣で真田兄弟に従って軍議に参加し密計を知っているものだ」
「主水は真田家では150石を領している小身の者で主人(信之)の前に出ることはないです。しかも武道を知らない者で密事を相談することはありません。もう一度検討してください」
 正信らの答えを聞いた土佐は再検討を願い出た。
「ではなぜそのような者を信之は召抱えるのか」
 正信らが疑問を投げかけると、土佐は
「主水は武道のことは知らないが、忍びの名人だったので置いておいたのです。去年の冬の陣で召抱えられ、主人の命令で堀下の調査のために堀の中に入った際、菱(鉄製で菱の実の形をして、先端をとがらせたとげをつけたもの)を踏んでろくに調べることもできずに戻ってきました。その後も足が痛むと言って出仕せず、夏の陣も信濃に残りました。ですから真田兄弟が一番に旗を上げたと言っているのが嘘なのは明らかです。信濃でどうやって知ることができるでしょう」
 と弁解した。
「では、信之が弟・幸村に加勢として兵を出したという件はどういうことだ」
 正信らが別件を問い糾すと、土佐はこれにもはっきり弁明。
「幸村は関ヶ原の戦いで敵対し浪人となりました。そしてその家来達は主人(信之)の家来になりたいと望みましたが、主人は一人も召抱えなかったので、仕方なく野に埋もれてしまいました。幸村が大坂に入城すると知って、皆々それに従い入城しました。それが加勢したように見えたのでしょう。主人は関ヶ原の戦いで父弟に叛いて徳川家に忠節を尽くしたのに、今更なぜ反逆するのですか。きっと主水は罪があって出奔し身の置くところがなくて訴え出たのでしょう」
 これに対して主水は一言も反論できず屈服したが、格別の恩情があって助命させられた。しかしその後、国に帰った主水は天罰だったのか仲間達に殺されている。(『明良洪範』)

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