新宮行朝

(しんぐうゆきとも)

生没年:1596〜1645年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):若狭

新宮城跡
新宮家の居城・新宮城跡

 紀伊新宮城主・堀内氏善の長男(弟とも言われている)。名前は堀内氏弘とも伝わっている。関ヶ原の戦いで堀内家は西軍につき改易されたため浪人となる。大坂の陣が起こると旧領回復のため家臣300人を率いて大坂城に入り、大野治房の寄騎となって、夏の陣の天王寺・岡山での最終決戦などで活躍した。他にも紀州一揆を煽動し浅野家を混乱させている。
 落城後、逃亡したが大和で松倉重政軍に捕まり捕虜となってしまう。しかし三弟・堀内氏久千姫救出の功により赦免されて、藤堂高虎の家臣となった。1645年死亡。

管理人・・・関ヶ原の戦い後、浪人ではなく浅野家に仕え500石を与えられていたが、そこを辞して大坂城に入城したという話もあります。また堀内氏善の長男ではなく六男という話もあります。あと大坂の陣後、仕えたのが藤堂家ではなく片桐家に70口を与えられたという話もあります。というようにこの人はいろんな話があってよく分からんです。

UPDATE 2002年11月30日
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